【機能を失った家庭】1.役目を終えた専業主婦
子どもたちが思春期を過ぎ、もう家庭としての機能を失った家。
誰だって、食べたい時にすぐ食べたくて、食べたくない時には食べたくない。
家族は、早朝に起きて出かける生活をしていないので、昼食は、11時だったり2時半だったりに食べたくなる。そこにピンポイントで対応できなければ、もう食べない。
夕方になって、お腹が空いたら我慢できないから、お菓子やラーメンをそれぞれが勝手に食べる。
そうするとタ食は、食べたくないからいらない。でも深夜にまたお腹が空いてコンビニに買いに行く。
こうして、専業主婦である私が、昼に作った焼きそばとワカメスープも、夜に作った豚肉の黒酢あんかけと小松菜の煮浸しとイカのポン酢和えも、食べられることなく冷蔵庫に溜まっていく。
食事の時間も、内容も、自由にさせろ!
食べたい時に待たせるな!
勝手に作ったからといって、食べたくない時に強要するな!
彼らはうんざりとした顔で、そう吐き捨てる。
私が、彼らをコントロールしようとしているのか?
彼らが、無秩序に欲望だけを優先しているのか?
一つ言えることは、この家において、専業主婦という生き方が、もうとっくに役目を終えたのだということ。
私は、名のある家事も、名もなき家事も、家庭教育も、健康管理も、送迎も一手に担って、家族をトータルマネジメントしてきたつもりだった。そしてそれは、ある時期まで有効に機能していた。
けれども状況は日々変化し、あるとき気付けば私は、過干渉で、独善的で、身勝手な価値観を押し付ける、毒親だという烙印を、当の子どもたちから押されていた。
古いビデオテープの映像の中で、子どもたちが笑って、はしゃいで、飛び跳ねている。
観光牧場での乗馬体験、観光農園での季節の味覚狩り、アスレチックランド、遊園地。どれも、どの時も、子どもたちは楽しそうに、嬉しそうに、早く、早く、と私の腕を引っ張り、話しかけ、笑いかけ、不意に抱きつく。
少し難易度の高い遊具があって、喜んで登りはじめた子どもが途中で、怖い、と言い出した。映像には、夫が真横に寄り添って、懸命に励まし、手を取ってゴールさせる様子が映っていた。
帰り際、自信をつけさせたくて夫が、さっきの遊具にもう一度挑戦してみたら? と、声をかけると、子どもは大きな声で、嫌だ! と叫んでいた。
私は、怖かったよね。いいよ、いいよ、やらなくて。さあ、美味しい物を食べに行こうね、と、フォローの言葉を掛けていた。
そして、私の元に笑顔で突進してきて、甘えて抱きつく。子どもが小学生になったばかりの頃だった。
ノスタルジアは麻薬だ。
恍惚とその中に取り込まれ、うっかりすると、過去の自分の全ての行いを肯定したくなる。
これまで何一つ楽しいことはなかった!
嫌なことを嫌だ、と、言えなかった!
言わせない雰囲気があった!
それこそが虐待だった!
子どもはそう吐き捨てる。
同じ時間、同じ景色の中で、私と子どもたちとは、まったく違うものを見ていたのかも知れない。虐待、虐待、と言われ、毒親と罵られ、私はもう、普通が何かわからない。
親に傷付けられて、虐待されて、私物化されて、ボロボロになって生きてきた人たちがたくさんいる。その姿はあまりにも悲痛で、生き直すことの難しさや、辛さ、非情さが胸に迫る。
私は決して、そんなことはしていない! と、信じたい。
全然、違う! と、思いたい。
けれども、本当に?
子育てにおいて、何が正解だったのか? どうすれば良かったのか?
昭和世代の子育ての常識や正解は、今やそのほとんどが間違いだったと断罪された。
学者や評論家は、躾と称した虐待に警鐘を鳴らし、「あなたのためを思って」や「他人に迷惑をかけてはいけない」というワードは、最も気をつけなければならない禁句なのだと言う。
こんな子に育って欲しい、と、具体的な理想を持つことは、もうすでに、価値観の押し付けに他ならず、私物化しているのだ、と。
生きていてくれれば、それだけでいい。
私が心の底から、そう思える日はいつか来るのだろうか。
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