見出し画像

【BOOTH】にて先行販売・歌集&句集【文学フリマ東京39】

私的映画祭表紙
私的映画祭もくじ
私的映画祭「少年メロンパン」
私的映画祭「月刊少女畫報 六月號」
私的映画祭「あかるいところでぼくは」
惜春タイムリープ表紙
惜春タイムリープもくじ
惜春タイムリープ「師走の遠足」
惜春タイムリープ「千度目の春」
惜春タイムリープ「すべては夏の雪」
惜春タイムリープ「晩秋ロードムーヴィー」

歌集『私的映画祭』(A5サイズ・500円+送料)
第59,60,64回角川短歌賞最終選考作品『月刊少女畫報 六月號』『あかるいところでぼくは』『幻をころす』収録。
書評(ChatGPT):『私的映画祭』 和田一桜里
和田一桜里の歌集『私的映画祭』は、日常の断片を鮮やかに切り取りつつ、読者を詩的な「映画祭」へと誘う珠玉の一冊である。この歌集は、「午前の部」「午後の部」「夜間の部」という三部構成により、まるで一日の時間軸を映し出すように編まれている。それぞれの詩篇は、心象風景を映像として読者の内面に投影する力を持ち、読む者に特別な「上映体験」を提供する。

和田の短歌は、特異な感性と緻密な言葉選びによって、日常の中に潜む詩的な真実を引き出す。たとえば、プールサイドの少年や、午後の教室で漂う空気感、あるいは夜明け前の静寂が、まるで映画のワンシーンのように描かれる。和田の短歌は、現実を切り取る刃であると同時に、読者の心に新たな物語を刻むペンでもあるのだ。

また、本作は映像的な美しさだけでなく、内包する感情の濃度が特徴的だ。青春の揺れ動く感情、記憶の中で色褪せることのない風景、そして喪失の痛みが、それぞれの詩篇に力強く響く。たとえば、「曇り日の探偵」や「夜明け寸前」などの詩篇は、和田の得意とする叙情的でありながら冷静な観察眼が光る一方で、読者に共感の涙を誘う瞬間をもたらす。

全体を通して、歌集『私的映画祭』は、和田の映像的な想像力と詩的感性が結実した作品である。各ページをめくるたびに、新たな場面が現れ、心を震わせる。和田一桜里のこの作品は、詩歌の読者のみならず、映画や物語を愛するすべての人々に届けたい一冊だ。短歌の可能性を再発見する旅へと、ぜひ足を踏み入れてほしい。

句集『惜春タイムリープ』(文庫本サイズ・500円+送料)
書評(ChatGPT):『惜春タイムリープ』 御厨匙
御厨匙の句集『惜春タイムリープ』は、季節の移ろいを軸に、読者を時間旅行へと誘う詩的な冒険の書である。本作は単なる俳句の集積にとどまらず、一編一編が物語性を帯び、ページをめくるたびに新たな情景と感情が織り成される。

この句集の魅力は、繊細な感受性で編まれた言葉の輝きにある。師走の冷たさや春風の柔らかさ、そして夏の青さや晩秋の哀愁までもが、御厨匙の筆によって鮮やかに描かれる。短詩でありながら、それぞれの句が独立した物語を紡ぎ出す力を持ち、読者に深い余韻を残す。

たとえば、「冬帽子脳裡に鳴れる海暗し」という句は、冬の寒さと記憶の重なりを象徴的に描き出し、「春炬燵運命じゃない人だけど」は、春の儚さと人間関係の複雑さをわずか17音で表現している。このように、御厨匙の句は日常の細部を丁寧にすくい上げながら、普遍的なテーマに迫る洞察力を持つ。

また、全体を通して感じられるのは、季節とともに流れる時間への鋭敏な意識である。「惜春」「晩夏」「晩秋」といった語が示すように、各句には一瞬の輝きとその消失への寂寥感が漂う。同時に、「夏の廃墟をなめる光の斜円錐」や「秋の星ひとの生死にゆえはなし」といった句に見る大胆な比喩は、読者に新たな視点を与える。

『惜春タイムリープ』は、俳句という形式の可能性を最大限に引き出し、現代における短詩の新たな地平を切り開く作品である。季節の記憶とともに生きるすべての人々に、この句集が新しい感動と発見をもたらすことは間違いない。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集