優しさを口にすれば 人は皆傷ついてゆく
僕は尾崎豊が大好きで、精神的に疲れている時は彼の歌をよく聴きます。
彼の有名な歌に「僕が僕であるために」という歌があります。
全てが印象的なフレーズで構成されている神曲なのですが、
僕はずっと、その中のあるフレーズの意味が分からなくて、引っかかっていました。
「優しさを口にすれば 人は皆傷ついてゆく」
という、サビ前のフレーズです。
みんな優しい方がいいじゃん!?
って僕は思っていましたが、どうやらそんな簡単なことではないようで。
最近の日本社会と照らし合わせて考えたときに、ようやくその言葉を自分なりに解釈できるようになったので、ここに書いていこうと思います。
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日本は現在、失われた30年の最中にあり、今もなお衰退を続けているらしいです。
少子高齢化で減少している労働人口を外国人労働者で穴埋めしようと、いま売国奴たちが必死に動いているとか、いないとか。
そんな中で最近やたら推されている考え方が「多様性」という言葉です。
「外国人の文化を受け入れましょう」
それは外国人と日本人の関係だけにとどまらず、
「自分と違う考えも受け入れましょう」
「失礼なことをされても、受け入れましょう」
「多様性の時代ですから」
何でも受け入れ、許すこと。
あたかもそれが「優しさ」であるかのようなキャンペーンが盛んに行われています。
一見とても良いことのように思えますが、
押し付けられた優しさは、いずれ転換点を迎えます。
「私はあなたに優しくしたのに、どうしてあなたは私に優しくしてくれないの?」
「あなたには思いやりがない」
こうなります。
よほどの聖人でない限り、見返りを求めてしまうからです。
そもそも自分と他人は違う世界を生きているのに、同じ価値観を持っているのが当たり前だと錯覚してしまいがちです。
だからこうした現象が起こってしまう。
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その最たる例が、コロナ禍のワクチン接種で起こっていました。
まずは政府が「思いやりワクチン」などと称して、人々にワクチンを打たせました。
「周りの人のために打ちましょう」
と推し進め、
ワクチンを打った人には「あなたは思いやりがあって優しい人です」という称号を与えます。
その後、ワクチンを打った「優しい人」はどうなったでしょうか?
ワクチンを打っていない人に対し「反ワクチン」というレッテル貼りをして、攻撃し始めましたね。
「私は打ったのに、どうしてあなたは打ってないの?」
「ワクチンを打たないなんて、ありえない」
命の危機を煽られていたとはいえ、初めから接種は任意だったはずなのに。
優しさの欠片もないですね。
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長々と書いてきましたが、僕が何を言いたいのかというと、
「他人に優しさを求めすぎて、社会が不寛容になってるんじゃないの?」
ってことです。
尾崎豊が歌った
「優しさを口にすれば 人は皆傷ついてゆく」
という歌詞の解釈は、
「優しさを求め、欲するほど、結果として自分も相手も生きにくくなるよ」
という事だと思うのです。
もちろん、その言葉の真意は尾崎豊本人しか知りようがないですが。
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では、そんな社会でどう生きたらいいのでしょうか。
・一つ目の方法は、他人に期待しないことです。
僕の周りにいる同世代の人たちは、この考え方の人が割と多いように思います。
期待するから裏切られるのであって、
初めから期待してなければ裏切られることはありません。
ドライだと思われるかもしれませんが、この考え方は有効です。
求めるハードルが低ければ低いほど、相手が何かしてくれた時に「ありがとう」という気持ちが湧いてくるようになります。
・もう一つの方法は、
相手との違いを「受け入れる」のではなく「受け流す」ことです。
心の許容量には限界があります。
何事も自分の思い通りにはならないものなので、
例えば相手の考えが自分と違っても、「ふーん、そうなのね」と、受け流せばいいと思います。
これが本来の多様性であり、
その違いを丁寧に擦り合わせていくのが、本来あるべきコミュニケーションではないでしょうか。
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今回は、尾崎豊が遺してくれた歌詞の意味について考えてみました。
優しさって難しいですね。
でも、そういう答えのない問いについて考え続けることが大切なのではないかなーと思います。
今を生きる皆が想像力を働かせ、社会が少しでも良くなることを願っております。
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