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投資#51 「推し」は新しい自己表現の方法だったのか
書籍の情報
タイトル:推しエコノミー 「仮想一等地」が変えるエンタメの未来
著者:中山 淳雄
出版社:日経BP
発行日:2021年10月18日
書籍の要約
2020~21年、エンタメ業界は劇的に変わった。アニメやテレビ番組は多チャンネル構想を推進し、映画は配信へのシフトに挑戦している。この変化の背景には、ユーザーの変化がある。今のユーザーは「消費者」というより、「表現者」のようにコンテンツと付き合う。その行動変容の基軸にあるのが、キャラクターやタレントを「推す」という行為である。
ファンの心理は、内的な「萌え」から、外的な「推し」へと変化した。これは「家族」関係の変化に伴うものだ。家族形成が幸せの道ではなくなった今日、その役割から自由・解放を求める行動といえる。独身でも幸せでいられる時代に、「推し」は人々の感情のスキマに入るようになったのだ。
今日、エンタメコンテンツは若者の教養である。皆が見ているものを見て、皆が話すように話したい。これがミレニアル世代のメンタリティだ。コンテンツは自分がどんな人間かを示す表現財となり、他人からの視線により選ぶものになった。
差別化の道具は陳腐化している。会社の肩書や学歴での差別化はオシャレではない。金持ち自慢や恋愛リア充自慢は誹りを受ける。だが、キャラクターや2次元作品を使った自分の趣味嗜好の顕示は、誰もが親和的な気持ちをもって受け入れてくれる、代替的かつ安全な事項表現になりえる。
感想
現代社会について情報を集めていたら、タイトルからはおおよそ縁もないだろうと思っていましたが、情報を得ることができました。
家族形成が幸せの道ではなくなったとはっきり書かれていますね。
独身者も増えてきていますから、新しい幸せの形を模索するのも
当然かと思います。
確かに家族を持つと幸せを感じることが多くなるのは、実体験から
間違いのないことだと思います。
しかし、これが万人共通だと思いません。
万人共通であれば、離婚という言葉が存在するのかなと疑念さえ持ちます。
さて、テレビやネットニュースで、「推し」ということはここ3年ぐらいよく聞きます。
今のユーザーは「消費者」というより、「表現者」のようにコンテンツと付き合う。
「推し活」という言葉だけ覚えて、深く考えられていませんでしたが、自分自身を表現する表現財だったのかととらえ直すことができると、見方が変わってきました。
30年も40年も前でしたら、コンテンツの数は今ほど無かったでしょうし、コンテンツの積み上げもなかったでしょう。
数が少ないコンテンツでは、みんなが同じものを見て同じように話すので、差別化の道具にはならなかったのですね。
しかし、コンテンツの量が変われば、コンテンツの組み合わせに独自性が出るから表現財になるということですか。
思いつきもしませんでした。
高級ブランドは、なかなか手が出ないから他人との差別化の道具として使われていましたが、
いまでは簡単にアクセスできるコンテンツを組み合わせて差別化するのですね。
しかも、金持ち自慢という誹りを受けることがない。
確かに、今までの自己表現方法よりもメリットが多いので、流行るのも納得できます。
最近は「沼」な気もしますが、「沼」も自己表現なのでしょうか。
どこかで考察する機会を作れたらないと思います。
まとめ
「推し」とは消費ではなく、表現である
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