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【ウミガメ小説 #2】 影と光


この作品が生まれたきっかけ

ぜひ先にこちらを先にお読みください。

BGM

登場人物紹介

佐々木 涼(ささき りょう)

24歳、東京の出版社で働く若手編集者。
普段は冷静で仕事熱心だが、不器用で感情表現が苦手。
周囲に気を遣いすぎるところがある。


高橋 由美(たかはし ゆみ)

涼の大学時代の恋人。
物静かだが優しい性格で、いつも笑顔を大切にする女性。
大切な人を気遣う、強い心を持っている。


黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男

黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの謎の男。
いつもギターを持っている。
気まぐれだが、どこか冷静で不思議な雰囲気を持つ。

第1章:別れ

僕と由美が出会ったのは、大学の天文サークルだった。春の終わり、風の匂いがまだ冬の名残を残していた頃だった。新入生としてサークルに顔を出した彼女が、部室のドアをそっと開けたとき、僕たちの目が合った。その瞬間、何かが微かに始まった気がした。由美は少し控えめで、不安げな表情をしていたが、その瞳の奥には不思議な輝きがあった。

サークルの合宿で初めて彼女としっかり話をしたのは、星を見に行った夜だった。山奥の天文台で泊まり込み、冷たい風が吹き抜ける中、僕たちは肩を寄せ合って星空を見上げていた。由美は星座の名前をいくつも知っていて、それぞれの星にまつわる物語を僕に語ってくれた。彼女の声は穏やかで、どこか懐かしい響きを持っていた。僕らはいつの間にか二人だけで話し込んでいた。好きな星の話から夢、そして未来の話へと、話題が途切れることはなかった。その時、由美がふと見せた笑顔が、心に残って離れなかった。

それから、僕たちは自然と一緒にいる時間が増えていった。サークルのミーティングが終わるたび、いつも二人で帰るのが当たり前になっていた。夜になると、僕らは近くの公園で星を見上げた。静かな公園に、夜風が吹き抜ける。ある日、由美がふと呟いた。

「星を見ていると、なんだかいろいろ考えなくて済むから好きなんだ」

その言葉は、僕の胸の奥に静かに染み込んでいった。由美は物静かだけれど、自分の気持ちを真っ直ぐに伝える人だった。彼女の言葉の一つ一つが、僕の中で小さな光のように瞬いていた。

ある夜、部室でのミーティングが終わった後、僕たちはいつものように並んで歩いていた。満月が浮かぶ夜で、街灯が僕らの影を長く引き伸ばしていた。僕は思い切って由美に声をかけた。

「由美、もし良ければ、今度二人でどこか行かない?」

由美は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで頷いた。

「いいよ。 星が見える場所に行こう」

週末の夜、僕たちは夜のドライブに出かけた。車で海岸沿いを走り、展望台に着くと、夜空には無数の星が瞬いていた。静けさの中、僕たちは何も言わずにただ星を見つめていた。そして、車のスピーカーからBUMP OF CHICKENの「天体観測」が流れ始めた。音楽が夜の空気に溶け込むように響く中で、僕は気持ちを抑えきれずに口を開いた。

「僕、由美のことが好きだ。 もっと一緒にいたい」

由美は少し頬を赤らめ、けれどその瞳は真っ直ぐに僕を見つめていた。

「私も、涼くんのことが好き」

僕たちはお互いの手をそっと握りしめた。満天の星空の下、その温もりが僕の心に静かに溶け込んでいくのを感じた。この幸せな時間が、ずっと続くと信じて疑わなかった。

けれど、大学を卒業する頃、僕は東京の出版社に就職が決まり、上京することになった。由美は地元の鹿児島に残り、僕たちは遠距離恋愛を選んだ。最初は「大丈夫だよ、毎日連絡するし、会いにも行くから」とお互い笑い合っていた。でも、東京での生活が始まると、仕事に追われる日々が続き、由美からのLINEが次第に重荷に感じられるようになった。

「元気? 会いたいなあ」

「ちゃんと食べてる?」

「頑張りすぎちゃダメだぞー!」

彼女の言葉は温かかった。でも、それがかえって僕の心を締め付けるようだった。僕は次第に返事を後回しにするようになり、連絡の間隔は広がっていった。気がつけば、もう何週間も由美からのメッセージは来ていなかった。

そして、ある日突然、知らないアドレスからメールが届いた。

——由美は亡くなりました。

由美の母親からの知らせだった。全身から力が抜け、目の前が真っ暗になった。彼女は僕に一切病気のことを知らせなかった。僕に心配をかけまいと、彼女は最後まで明るい調子で連絡をくれていた。

「大好きだよ!」

病室からの最後のLINE。それが彼女の最後の言葉だったなんて、夢にも思わなかった。僕の中で何かが崩れ落ちていくのがわかった。

何も考えられない。どうやって家に帰ったのか覚えていない。部屋に戻ると、僕はそのままベッドに倒れ込んだ。携帯の電源を切り、布団を頭まで引き上げて、朝まで泣いた。

どれだけの時間が過ぎたのか、僕にはわからない。カーテンを閉め切った部屋の中は薄暗く、昼なのか夜なのかもわからなかった。返事を返さなかった自分への怒り、もう二度と彼女の声を聞けないという絶望。それらが、重い鎖のように僕の心を縛り付けていた。

僕はただ布団の中で縮こまり、世界との繋がりを断ち切るようにしていた。時計の針が時を刻む音だけが、薄暗い部屋の中で響いていた。

第2章:影

次に目を開けたら、そこは海の底だった。

冷たい水が、肌にまとわりついている。青い闇の中に、無数の影がうごめいている。細かい泡がふわふわと浮かび上がり、視界を曇らせる。この光景を、もう何度も見たことがある気がした。毎晩のように、夢の中で訪れる同じ場所だ。巨大な影の生き物たちが、ゆっくりとした動きで僕の周りを泳ぎ去っていく。その形ははっきりとは分からない。ただ、どこか不安を感じさせる奇妙な存在感があった。いつもなら、ここで目が覚めるのだ。

しかし、今回は違った。影が次第に大きくなり、渦を巻くように僕を囲み始める。僕の体はこわばり、動けなくなる。息はできているが、それがかえって不思議な感覚だ。現実と夢の境界線が曖昧になり、どこにいるのか、何をしているのかが分からなくなっていく。

僕はゆっくりと足を動かしてみた。体がふわりと浮き上がる。まるで重力がないかのようだ。足をゆっくりバタバタさせて前に進む。水の抵抗を感じながら、ただ、体が少しずつ前へ進んでいくのが分かる。

遠くに人影が見えた。黒い半ズボンだけを履き、スキンヘッドの男がギターを抱えている。水中にいるというのに、まるで日光浴でもしているかのように、悠然と立っている。彼の指先が弦を弾き、その音が静かに響き渡る。音楽が水を通して、まるで空気のように漂い、僕の心の深いところをノックするような感覚を覚えた。

「おい、大丈夫か?」

声をかけると、黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男はゆっくりと振り返り、焦点の定まらない目で僕を見た。何も言わずに手招きする。僕は躊躇しながらも、彼の方へゆっくりと近づいていった。そして、黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男が伸ばした手が僕の肩に触れた瞬間、電気が「ビリッ」と走ったような感覚が全身を貫いた。水の中で火花が散ったかのように視界が白くなり、体が軽く浮き上がるような気がした。彼の手の冷たさと、その奥に潜む奇妙な力。僕は息を止めた。

「ここはどこだ?」

黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男は、にやりと笑いながらギターを軽く弾いた。

「ここは深海の底『影の世界』さ。 おまえのように迷い込んできた者たちが集まる場所だ。 みんな、何かを抱えている」

「何かを…抱えている?」

僕は問い返す。

「まあ、見ていればわかるさ。 ついてきな」

黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男はそう言って、ギターを片手に持ったまま、ゆっくりと水中を進み始めた。僕もその後を追いかけるように、足をバタバタさせて進む。水中を泳ぐようにして進むと、体がふわりと浮かび、まるで空中を歩いているような感覚になる。

「どこへ向かってるんだ?」

「秘密の場所さ。 死んだ人と繋がれる特別な場所だ。 おまえみたいに未練を抱えた人間には、ちょうどいい場所かもしれない」

——死んだ人? まさか、由美のことか?

胸の奥がざわつく。けれど、黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男の言葉を否定することもできなかった。彼に従って進むうちに、突然、暗闇の中に一つの光の点が現れた。その点は次第に大きくなり、目の前に広がっていく。

「さあ、ここだ」

第3章:光

黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男がギターをかき鳴らすと、目の前の光が眩しく輝き、一瞬、視界が真っ白になる。そして、その光が消えると、そこには等身大の由美が映し出されていた。彼女は微笑みを浮かべて、じっと僕を見つめている。

その瞬間、もう涙なんて枯れ果てたと思っていたのに、一気に溢れ出した。涙は頬を伝い、首筋を流れて、水中に溶けて消えていく。心の奥底から込み上げてくる罪悪感が、まるで堰を切ったように僕を押し流していく。

「由美……ごめん、本当にごめん……!」

僕は声を震わせて叫んだ。

「あの時、会いに行けなくてごめん……! 由美が苦しんでたのに、僕は……。 君を大切にできなかった自分が、本当に許せないんだ……」

由美の姿が涙でぼやける。視界が歪み、僕はその場に崩れ落ちた。泣きながら、無力感と後悔に押しつぶされそうになる。由美は、ただ微笑んでいた。その笑顔はかすかに揺れながら、静かに口を開いた。彼女の声が、僕の心に直接届くように響く。

「大丈夫だよ。 私は、ちゃんと幸せだったから。 涼くんと過ごした時間があったから、最後まで笑っていられたの。 だから、自分を責めないで」

「でも、僕は……1人にさせてごめん。 もっと早く気づいていれば……」

僕は必死に声を絞り出した。涙が止めどなく溢れてくる。

由美は、優しく笑って言った。

「そんなことないよ。 涼くんがいてくれたから、私は強くいられた。 いつまでもここにいないで、涼くん自身の人生を生きて」

その言葉が胸に染み渡り、冷たい水の中に温かい光が射し込んだようだった。けれど、まだ心の奥底には重いものが残っていた。

「——僕は、由美を忘れることなんてできない……」

「忘れる必要なんてないよ。 大切に思ってくれて、それで十分だよ。 私のことをいつまでも背負って生きる必要はない。 涼くんが笑っている姿を見たいの」

由美の言葉が、少しずつ胸の中の重みをほどいていくように感じた。息がしやすくなり、涙もようやく静かに落ち着き始める。

「ありがとう、由美。 君の分まで、ちゃんと生きるから」

「うん。 くよくよしてたら、らしくないでしょ! 辛い時は、星を見上げて。 涼くんが笑えるまで、いつでもそばにいるから」

由美は柔らかな微笑みを浮かべたまま、静かにその場から消えていった。

深く息を吸い込み、目を開ける。まだ涙の余韻が残っているが、心は少し軽くなった気がした。

黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男は微笑み、ギターを弾き続けたまま目を瞑っている。

——ありがとう。

僕は黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男にお礼を告げて、彼が示す光の方へと足を向けた。目の前の世界が白く輝き始める。振り返ると、黒い半ズボンしか履いていないスキンヘッドの男の姿はもうなく、代わりに巨大な電気クラゲが青白い光を放ちながら漂っていた。

目を覚ますと、僕はベッドの上にいた。涙の冷たさの中に、まだ微かに温もりが残っている気がした。

——大丈夫、由美。 僕は歩き続けるよ。



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