初めての子育ては相談できる友人もなく孤独と不安の日々 人とのつながりを求めて
夫の考えは、家事と子育ては女性の仕事。
仕事が早く終わっても、実家で時間を潰し帰ってきませんでした。
そんな夫に何も言えず、朝、夫が家を出る後ろ姿を見送るとき、これから長男と長い1日が始まると思うと憂鬱でした。
20年前は、インターネットもなく育児情報は、テレビか雑誌でした。
大阪市内のマンションに住み、隣人の顔も知らない、近所付き合いもほとんどない状態でした。
毎日が長い。社会から切り離されたような孤独と不安。
子供の成長ビデオの端に映る顔は、いつも不安で悲しそうでした。
大人と話すことがない日もあり、夕方になると孤独感から涙が出ました。
長男は、抱っこしていないと泣いてばかり、歩けない赤ちゃんは、公園に行っても、他の子供たちが遊んでいる姿を見るだけ。
言葉にできない寂しさがいつもまとわりついていました。
🔷産後うつ
自分が産後うつであったことに気づいたのは、数年経ってからです。
乳腺炎を何度も繰り返すので、出産した病院から薬を処方され飲んでいました。
薬の副作用の影響もあり、毎晩、涙が止まりませんでした。
乳腺炎の痛み、泣いてばかりいる長男、子育てに無関心の夫、いつ死んでもおかしくない状態の産後うつでした。
実家の母に相談しても
「自分の方がもっと不幸だ、不平不満を聞いてほしい」
と依存してくるだけでした。
真っ暗な海を子供と2人で、どこにたどり着くのかもわからず漂流しているようでした。
このままだと死ぬかも。
テレビで虐待のニュースを見て、他人事ではない気がしました。
寂しい、生きている実感がほしい、誰かと話したい。
🔷価値観と本心のギャップ
今では、地域に子育て支援センターがたくさんありますが、当時は検索してもほとんど得られる情報はありませんでした。
その数少ない情報の中でヒットしたのが天神橋六丁目の「(旧)子育ていろいろ相談センター」、現在の「男女共同参画センター子育て支援活動館」での出会いでした。
毎月第2土曜日の14時から16時まで、別室保育付きで、元保育士(徳永先生)と数名母親、大人だけで話す充実した時間でした。
月に1回、全く知らない人ですが、大人と話せる喜びはとても大きく、この出会いが、現在の活動の原点になっており、人生を変える転機となりました。
当時、長男が1歳になるので、おっぱいをやめるか迷っていました。
姑からは
「1歳になったら、恥ずかしいからおっぱいをやめるように」と言われ、心の中に言葉にできない苦しさがありました。
その苦しさは、
母は〇〇でなければいけない
子育ては〇〇でなければいけない
夫は〇〇であるべきだ
嫁は〇〇であるべきだ
という価値観と本心のギャップでした。
ママ友に
「1歳過ぎでいるけど、おっぱいやめないの」と尋ねたら
「だって、この子おっぱい好きなんだもん」と笑顔で答えてくれました。
そのときに、自分の中で〇〇でなければいけないという価値観と自分の思いのギャップに気がついて涙が出ました。
自分の気持ちに素直に行動していいんだ。
今まで他人からどう思われているのか考えて生きていることに気がつきました。
毎月、仲間と話すようになり、乳腺炎の薬も減らし産後うつの症状も軽くなりました。
🔷人生を変えた助産師との出逢い
2人目の妊娠をきっかけに、助産所を尋ねました。
助産師は、深い医学的知識と正義感に溢れ、喜怒哀楽を自由に表現するタイプでした。
大人の顔色を見て、自分の感情に蓋をして生きてきた私にとって、助産師の生き方はとても新鮮でした。
妊娠中の食事、運動指導はとても厳しいものでした。
助産所で出産することは、医療措置ができないということ。
命をかけて出産する現場で、医療が使えないということは、危険と隣り合わせであること。
緊急時には、救急車で15分以内に提携病院へ搬送されるが、大量出血や胎児の心音が低下すると、母子の命が危険な状態になります。
多くの経験をしてきた助産師だからこそ、愛情深くて厳しいのです。
妊娠中の指導は、食事や運動だけでなく、実母との関係、夫との関係など精神面の指導もありました。
他人の顔色を伺い自分の意見を飲み込む生き方をしてきたため、検診のたびに厳しく指導されました。
「あなたはどうしたいの」という助産師の質問に何も答えられませんでした。
🔷思い描いた通りの出産
出産予定日の朝方、陣痛が10分間隔になったため、助産所へ行きました。
無垢の杉と漆喰でできた助産所の水中出産用のバースプール、温かくて優しい時間。
長男の病院出産は痛みに耐える48時間でしたが、助産所での陣痛は全く違うものでした。
波に乗るようにお産が進み赤ちゃんが生まれたのです。
妊娠中の努力が報われた瞬間、初めて自分の中に肯定感が生まれました。
「努力は無駄ではなかった」体験から出てきた魂の言葉。
助産師の厳しい中にある深い愛、初めて人に心を開くことができました。
🔷子育てサークルを立ち上げたきっかけ
「薬はできるだけ使わない方がいいよ」
「おっぱいは食べ物でできているんだから、食べ物にきをつけてね」
「予防接種は、メリットとデメリットを考えて打つんだよ」
妊婦たちが教えてくれました。
薬で健康になると信じていたので、助産所に集まる妊婦たちが、何を話しているのか初めはわかりませんでした。
助産師に質問したら
「あなたは知識がないから、サークルを立ち上げて勉強しなさい」
子供の頃から、人に心を開くタイプでなかったので、知らない人達とサークルを作ることにかなりの抵抗がありました。
しかし、子育ていろいろ相談センターで人とのつながりに救われた経験から、少しでも世の中に恩返しできればと助産所でサークルを立ち上げました。
🔷薬に頼らない子育てサークル「ゆりね」の活動
理念は、いつかどこかで誰かの希望の光になること。
特別な人ではなく、一緒にいるだけで元気を与えられる人を育てるサークル。
その原動力は、真っ暗な海に子供と2人で孤独に漂流していた過去の自分を癒すためでした。
過去の私と同じようにどこに進めば良いのかわからず、孤独な漂流をしてい母親たちに灯台の光を届けたい。
その想いから「ゆりね」は生まれました。
私が放つ光は一つですが、サークルで多くの仲間を育てることで、たくさんの光になります。
日本の少子化、子供への虐待に「私たちだからできること」がたくさんあります。
🔷「私たちだからできること」経験から与えられる力
妊娠中の過ごし方で、出産のリスク、産後の回復、赤ちゃんの免疫の高さに違いが出ます。
母親の産後の回復が早いと育児がとても楽です。
赤ちゃんの免疫が高いと育児に自信が持てます。
医療従事者の教科書的な話よりも、母親たちの経験から出る魂の言葉は、人に勇気と希望を与えます。
全ての出来事に意味があります。
本当の意味を理解できるのは、その出来事が、誰かのために役立ったときです。
以上、「初めての子育ては相談できる友人もなく孤独と不安の日々 人とのつながりを求めて」でした。
子育ては、仲間がいるから楽しく、仲間がいるから深い学びを得ることができるのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
これからもたくさんの光を育てて、社会に還元していきます。
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