乳首はアメチェか液晶か。川上未映子『きみは赤ちゃん』
乳首。あなた今ちくびって読んだでしょ。にゅうしゅ、と読むと専門用語っぽくて少しかっこいいよ。
そんなことはどうでもいいのだが、出産を終えた女性にとっては大きな問題となりがちなおっぱい。私も以前「素晴らしいお胸がなくなってしまった」でその顛末を書いた。
おっぱいなんていうものは、普段隠されているもので日の目を見ることはない。しかしそのおっぱいを社会の中に引っ張り出し、芥川賞を受賞した作品があった。川上未映子『乳と卵』。
豊胸が云々という話で、おっぱい、乳首、生理、初潮が来るか来ないかの時期の少女など、女性しか知らない身体感覚をリアルに描いている。普段隠されているものに光を当てるのが文学だとしたら、まさに『乳と卵』は文学。だから賞を受賞し、未映子さん(親しみを込めて勝手にそう呼ばせてもらう)といえば『乳と卵』、というのは多くの人が知っていることだと思う。
その未映子さんが、妊娠出産育児エッセイを出していた。文春文庫『きみは赤ちゃん』。
2014年出版の少し古い本だけど、人間を生み育てる営みはなんら変わりない。『乳と卵』の頃から身体の繊細な感覚を描き出す名手が、妊娠出産育児で激変する身体、知らなかった感情、オニ(未映子さんの赤ちゃんのあだな)のかわいさを書いている。『きみは赤ちゃん』から2つエピソードを紹介する。
●乳首はアメチェか液晶か
そして私は本棚を掘り返し、『乳と卵』を読み直した。
同じことはもう一度起こる。
未映子さんは一旦巨乳になり、最後「打ちひしがれたナン」になったらしい。私の場合は完膚なきまでに打ちのめされた平板になったが、なんか似たような体験をしている記述があって、よかった、私だけじゃなかった、と妙に安心した。ということはこの記事を読んでいる役目を終えた胸をお持ちのあなたも一緒ですね?
未映子さんはあちこちで読者を笑わそうとしてくる。多分笑かすつもりはなく、正直に書いてるだけなのだろうが、大阪人の性でちょっと笑ってもらった方がいいかな、というサービス精神(ウケ狙い精神)が見てとれる。私も大阪人なのでめっちゃわかる。
でもそれだけでは済まないのが作家さん。
●反省をする人
略してしまったところをきちんと読むと、涙が出てくる。今の私が毎朝していることと一緒だ。エン様(赤ちゃんのあだ名)もそのまま、空であり、よろこびだ。そして私も、夫も、画面の前のあなたも、皆そうだった。
しかし、未映子さんは数年後、文庫版のあとがきで反省する。空を目に映さないままであった赤ちゃんのことを想像できていなかった、と。
まだ出産後半年も経っていない私は、この反省を受け入れることができない。だって先に引用した部分は本当に、心から出てくる思いだから。すべての赤ちゃんがお母さんの肩越しに空を見ていた、と思ってしまう。
でも頭ではわかっている。無数の受精しなかった卵子があり、着床しなかった受精卵があり、成長を止めた胚があり、生きて産まれてくることができなかった胎児がおり、光を知らない赤ちゃんがいる。その全てが尊い、かけがえのない一回性をまとってこの世に存在している。もしくは存在していた。
空を見ることがなくても、生命。
この記事を書いているのは23時。エン様はすやすやと何も知らず寝ている。明日の朝も、彼は空と電車と向かいのマンションを見る。そのありがたさを思うと、また目に涙が滲んでくる。
最後までお読みいただきありがとうございました。何か気づきがあった人は♡押して行ってくださると喜びます。未映子さんの本も読んでみてください(関西弁でめっちゃ読みにくい点だけ要注意)。
《終わり》