「均等法」 / 誕生の裏側
近頃、デジタル・プラットフォーマーだとかアルゴリズムとか、耳慣れない言葉が増えています
でも、こんな時だからこそ、自分に関係のある法律ぐらいは知っておきたおいもの。大きな変化の中では小さな変化は見過ごされがちですが、それが後々自分を苦しることになるかもしれません。なにしろ、一度できた法律はなかなか変えられないのです。それに、誰もが目の前の変化に気を取られているとき、社会の仕組がクルリと変わることだってあるのですから
というわけで、古い話しですが、この国で「均等法」がどうやって誕生したのか、ちょっと振り返ってみたいのです
革命はたびたびやってくる!
さて、1960年、日本女性の約4割は農業従事者でした。それが1970年代になると、既にこの国は脱工業化へ向かい、女性の約5割がサービス業へ流れます。そして、職場に新技術が導入され、職場のオフィスのオートメーション化がすすみ、この国の労働の質がグルリとかわります
そう、近頃、在宅も副業はあたりまえ、ホワイトカラーの中間層は中抜きされる、事務職はいらなくなる、そんな声が聞かれますが、70~80年代、わたしたちは同じような変化に遭遇しているのです
あの頃、人々は激動の波にもみくちゃにされていました。特に女性たちが。歴史って、そんなふうに、らせん状に進んでいくものなのかもしれません
で、人はいま近未来を熱く語ります。これはただの変化ではないと。つづいてきたものの先にある変化ではなくて、これまでとは違う新しい革命なのだと
ただ…つい思い出してしまうのです。誰もがすぐ先の世界がまだちゃんとは見えていなかったころ、その先の世界に女性は入っていませんでした。そう、変革を急ぐ人たちの目には、女性の姿は見えていなかったのです
だからこそ、昭和の革命で、OLたちはどんどん職場を追われたのです
わたしたちの周りでおこったこと
その70年代よりちょっと前、女性たちが訴訟※⑴を起こしはじめているのです。そのはじまりは「住友セメント事件」でした。
それは職場の男女差別を訴えた初めての裁判。争われたのは東京地裁。ときは1966年。争点は女性にだけ結婚退職があるのはおかしい!というもの
そこから女性がつぎつぎに訴訟をおこしはじめます。20年の間に約70件の判決がでています。男女差別は当たりまえ、そんな時代に、勤め先の会社を相手取り裁判闘争にいどむ女性がいたのです
わたしは大人になって大学に入り、大学4年の時、授業の一環で東京地裁に足を踏み入れてます。選んだのは覚醒剤事件。そして、その日判決が言い渡される小法廷へと向かいました。薄暗く圧迫感のある建物。小法廷に入り、席について周りを見回すと強面の男性ばかり…
ただの見学でさえ、とても緊張しました。それなのに、今から半世紀も前、女性が一人で戦い、そこに沢山の女性が続いたのです
ところが、実情はなかなか厳しいのです。当時はまだ労働者を守る最低限のルールである「労働基準法」しかなかったのです。でもここには賃金以外の性差別の禁止規定は含まれていません
つまり女性は訴える場所がなかったということ。だから仕方なく民事で戦ったのです
でも、しょせん民事は民事です。たとえ勝訴しても金銭的な解決しか得られません。それでも女性たちは差別を訴えつづけます。そんな判例が積み上がり、ついに変化がおきます。そう、個人の小さな声が社会にとどいたのです
民事では差別行為の排除や是正の効果は期待できない、現行の法律には限界があると世間がゆれはじめ、野党と日弁連が動きはじめました。そして、雇用平等法案や法案要綱が次々に発表され、それが立法構想へと発展していきます
20年もの間、小さな声を上げ続けた女性たち、その声に押されて形になったのがこの「均等法」でした
出典:※⑴ 雇用職業総合研究所編 『女子労働の新時代』 東京大学出版会
日本の外側
実は「均等法」ができたのにはもう一つ理由がありました
男が働き女が家を守る、そんなスタイルが家でも企業でも定着するこの国に、国連が影響を与えたのです
アメリカでは日本より10数年も早く「男女雇用平等法」が誕生しています。それから1960年代以降、欧州に男女雇用平等法が次々に誕生して、さらにそんな流れが国連やILOへ
そして1979年、国連で「女子差別撤廃条約」が採択されます。男女平等が国際的課題になったのです※⑵
すでに経済大国になっている日本は国連の条約を批准したかった。ですから当時の男性中心の雇用制度をなんとかしようと国が動き出します
出典: ※⑵ 雇用職業総合研究所編『女子労働の新時代』東京大学出版会
さいごに
というわけで、均等法誕生にはわけがありました。それは日本の女性たちの内なるパワーと、国際社会という外からのパワーに押されたから。そして、憲法第14条「法の下の平等」の下、1985年「男女雇用機会均等法」が制定されます
ただ、それからすでに35年が経過していますが、この国のジェンダーギャップ指数は目も当てられない状況です。この国はどうして男女平等にならないのでしょう。あれほど沢山の勇気ある女性たちが差別を訴え、国連のみならず、先進諸国が足並みを揃えてルール作りを進めていったというのに…
ただ、それでも良い変化はありました。改正ばかりが続くこの法律ですが、一度も後退はしてはいないということ。でもそれはつまり、改正しなければならない法律を最初に創ったということでもあるのです
そのことについては、また別の記事で
最後まで読んで頂きありがとうございました♬
#均等法
#女性たちが勝ち取った均等法