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意識とは

現在、わたしは大人の哲学を語る会に所属しています。

その会の9月の課題本が、手ごわすぎると頭を抱えています。

それが、井筒俊彦氏の著『意識と本質』です。

と言うわけで、氏の考える「意識」について、わたしなりに考えてみたいと思います。

哲学にご興味のある方は、どうぞお付き合いくださいね。


人は、「意識」という言葉を気軽に使います。もちろん、わたしも使います。

この「意識」には、表層意識深層意識があるという話しも聞くことです。

その2つの意識の違いを、この本では、形あるものと、形が無いものに分けて表しています。

そして、は、本質を通して作り出されるとあります。たとえば、物体にが付くことで、わたしたちは初めてその物体が皿や、携帯電話や、お金であることを認めます。つまり、本質とは、物体に付与される名のことです。

そうして、物体に名が付くとが生まれます。その形が見えるのは表層意識に限るのです。

では、深層意識がどうかといいますと、ここには、名がない=形がありません。この深層意識は、全く分断されていないのです。


この本には、空海が幾度も登場します。

空海が、を般若心境で表しているのは知っていました。

ただ、その意味は知らなかったのです。

この本によれば、その深層意識を表す言葉でした。


わたしはコトバの強さを実感しています。

言葉が自分の暮らしに影響を与えることに気づいたのは30代の頃です。

ネガティブな言葉ばかり使っていた頃、わたしは不幸でした。ところが、ポジティブな言葉に入れ替えた途端、人生が異なる方向へ動き出したのです。コトバの重みを知りました。


わたしはパリオリンピックで、意識について考えていました。

選手が競技に集中している時、祈りにも似ていると感じました。恐らく、そうした時の彼らには本質は無く、彼らは深層意識の中にいるのでしょう。だからこそ、人類が超えられない、神のような一線を超える力が出るのだと感じるのです。

ところが、一躍脚光を浴びたり、人気者になると、彼らの心は顕在意識へと移動します。そこには、名誉とか、プライドとか、承認欲求とか、恐れとか、恥などの名の付く形が形成され、苦悩するのではないかと感じていました。

もちろん、ほとんどの人が、顕在意識の中で生きていて、だから、嫉妬したり、恨んだり、怒り狂ったり、心細くて仕方なかったり、どうにも元気が出なかったりするのだと思うのです。

空海が目指す空や無は、深層意識の世界です。

もちろん、普通の人がなかなか行けない世界です。

その深層意識には、名の付くものはなく、たたあるのは光なのでしょうか。

空海のその光は、大日如来さまです。

コトバのない深層意識の根っこの根っこにあるのが、神で、光です。

真言密教はコトバでできています。

そのコトバは、神の言葉です。

大日如来様の言葉です。

わたしが、遠い昔、なんの根拠もなく般若心境をお唱えしはじめた頃、弱っていた気持ちに徐々にエネルギーが湧くようになり、周りも驚くほどタフになったのですが、それは、無自覚に唱えていたコトバだったのかもしれません。

コトバがどれほど強いものか、わたしなりに知ってはいるつもりです。

それこそが、存在のエネルギーでした。



※最後までお読みいただきありがとうございました。



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