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SNS、量が質を変えはじめ。脱昭和を女性の目線でも語れたら。
来春から高校で「歴史総合」が必修になるという。
たしかサザンの桑田さんも近現代史教わってこなかったって歌ってたっけ。
信長や家康は知っていても、わたしたちは祖父や父が歩いてきた道を知らない。
ましてや女たちのことはね。
量でたどり着いた場所
10月から連続投稿をはじめた。トライした人なら分かると思うけれど、疲れるしネタ切れする。もう十分って気がしてくる。
走っている時もそう。止まりたくなる。ただそこを過ぎるとなにかが違ってくる。へとへとだったのに、いきなり静かな境地に入り、そこから自分の足音と呼吸音だけが聞こえはじめる。それをランナーズハイなんていう人がいる。
連続投稿でもそれが起こった。
早く書けるようになったと喜んでいたのに、また書けなくなった。疲労とネタ切れのせいだと思っていたけれどそうじゃなかった。もっと伝わるように書きたい、そんなこだわり、いや、欲がでてきた。
ふと、自分は今そんな場所にいると気づいたら、途端に疲れなくなった。以前より少しだけ見える部分が増えた気がして。だからゆっくり考えることにした。そこに気づいたら疲れなくなった。これってライターズハイっていうのだろうか。
自分のことが知りたい
あなたはご自分のことをご存じだろうか?
わたしは自分のことが知りたかった。誰も教えてはくれなかった自分のことを。
来年から高校で必修となる「歴史総合」。近現代史も習うことになるという。いいと思う。いや、当たり前かな。遅すぎたってことかもしれない。海外で暮らした時、自分の中に空白があるのを感じて愕然としたことがあったから。
それに、わたしは自分がこんなふうにしか生きられない理由がずっと知りたかった。
見えてるふりなんてわたしにはできなかった。
わたしが求めていたものも近現代史の中の自分なのだと思う。
見える所だけ見ていても見えないってことは沢山ある。
自分を読み解く
脱昭和の動きが出てきた。世界に取り残されるから学びなおしましょといわれている。
けれど、どうだろう。
またもやわたしはそこに入っていない。
考えてみると若い時からずっとそうだった。
わたしは、女性は取りこぼされてきた。
皆で変えましょ!の掛け声の中には普通の女性はいない。
だから普通の女性がどんな風に生きてきて、それがなぜ今も居座っているのか、そんなことを描き出してみたい。
誰も話してはくれなかったこと。普通の女性の働き方の近現代史。
この国の労働市場の形はもう時代にあわない、通用しない、だから年功序列はなくそう、学べ、進化しろという。
けれど、そこに大半の女性は呼ばれていない。皆自分のことで大忙しなのだ。女だってこの国のかたちの片方なのにね。
だったら自分たちで読み解いたらいい。誰も教えてくれなくたっていい。自分達でそれをやったらいい。
おわりに
女性の労働についての研究は多い。けれど女性たちがなぜいまここにこうして存在するのか、なぜそんな法律があって、それを受け入れているのかは誰も教えてはくれない。
自分のことを知らない人は、海外では英語が堪能でも自分を語れない。
それは日本でもおこる。自分のことを知らない人は子どもに本質を伝えられない。
だから自分のことを知っておきたい。
脱昭和に自分たちが入るために。だってこの国の年功序列を支えてきたのは女性だからね。
変化するのはそれからだと思う。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。良かったらお聞きくださいね。