きれいごとだけでは語れない親の介護
先日、モンブランパークさんにお母様の介護をされていた時のお話しを聞かせて頂いた。
認知症
超高齢社会の今、介護をしている人は周りにいくらでもいる。
わたしもそんな介護をする側の一人だ。
先日お話をお聞かせいただいたモンブランパークさん、彼は女手ひとつでご苦労されて育ててくれたお母様とそれはそれは強い絆で結ばれていらした。なにしろ一人息子、いや一人っ子なのだ。
ただその大切なお母様の介護が恐ろしく早く始まった。お仕事を辞められた翌年、66歳でお母様は認知症に罹られたのだ。
そこからモンブランパークさんは、今は亡きお母様の介護を奥様とされてきた。
親の介護
近頃は制度が整い育児も介護でもお休みがとれるようになり、介護保険も使えるようになった。
けれどそれは20年程も前のこと。
当時モンブランパークさんは日中仕事をされ、昼間は奥様が、夜はモンブランパークさんがお母様の排泄介助をされている。日に何度も取り替える母親のおむつ。疲労からか、時にきつい言葉を発したこともあったとおっしゃる。
介護は生身の人間相手だ。
なんの知識もない家族にその日は突然やってきて、誰もが勝手がわからず戸惑う。日常に加わる介護にやがて人はクタクタになり、体力や精神面の限界を迎えることだってある。
だからきつい言葉が漏れ出ることだってある。
働きながら介護をする息子。その息子の口から漏れた言葉がどれほどのものなのか、お母様が一番お分かりだったはず。
アンコンシャス・バイアス
数年前、数十年ぶりに幼馴染の男性にあった時、お母様の介護をされていると聞き驚いた。介護は女性、特に母親の介護は女性に限るそんな思い込みがわたしの中にあったのだろう。
思えばモンブランパークさんはお母様の介護を20年も前にされていた。
4人のお子さんはまだ幼く、徐々に日々の暮らしが回っていかなくなった。そこで選択を迫られたモンブランパークさんはついに施設にお母様を預ける決心をされる。
けれどそれが施設だとはご本人にどうしても伝えられなかった。ところが認知症であったはずのお母様には、そこが施設だと分かってしまう。
今でもその時のお母様の表情や言葉が心に強く刻まれていらっしゃるという。
恐らくこれからもその日のことを幾度も思い出されるのだろう。
日本の介護は特別
2000年に日本で初めて介護保険制度が始まった。
この制度の良さは、女性が引き受けていた家の中の隠れた重労働を外に引っ張り出し、立派な職業として社会にだし、それが定着したこと。
Daily Newsによれば、2050年までに、世界では推定20億人が60歳以上になるという。さらに2050年には中国は80歳以上が9千万人となり高齢者を最も抱える国になる。そこへインド、米国が続く。
内閣府は、日本の高齢化率は2020年に28.8%、2060年には約38%になると推測する。高齢者数の多い中国やインド、アメリカにはない人口における高齢者の割合の高さ、それがこれから先のこの国の大問題になる。ただこの高齢化へのスピード、2050年には韓国が世界のトップに躍り出るという。韓国も大変だ。
人に関わる仕事を男性にも
世の中にはイクメンなどという造語がある。
ただ育児以上に力仕事である介護は、今でも女性が家の中で一手に担うケースが多い。
わたしがモンブランパークさんにお話しをお聴きしたかったのは、自らお母様の介護にかかわられ、それを当然のこととしてされたこと。
自分の親の介護を妻のみに押し付ける夫は今でもザラにいる。俺は働いているんだからと。そうした男性はいったいどのような感覚でそれができるのだろう。
ケア労働は女性の仕事、そんなことが常識であってはいけないと思う。
子育ても介護も両性が経験してはじめて社会は豊かになる。
おわりに
効率的に動けない一時の経験が人を人らしく成長させる。時間を惜しみなく他者に与えられる人は間違いなく優しい。
ケアは男性が求めがちな生産性とは真逆の仕事だ。けれど誰かが手を差し伸べなければ回っていかないのが日々の暮らしでもある。介護は女の仕事であってはいけない。女ばかりがケア労働に関わる社会は未熟な社会だとも思っている。
生きることや死ぬことに触れることは恐ろしく大変なことだ。けれどそこで人は初めて人を深く知ることができるのかもしれない。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。