笑いは心の潤滑油 - 漫才について
最近、出退勤時に車の中で漫才を聴くのがプチ・マイブームになっている。
「笑い神 M-1、その純情と狂気」を読んだからだ。
最初はYouTubeで少し見ていただけだが、
そのうち通勤時間の車の中でも聴こうと思った。
このとき、本当に面白い漫才は声だけでも笑えるという事を発見した。
YouTubeの動画(著作権的にどうという事はひとまず置いておいて)のタグには「睡眠用・仕事用」と書かれている。
これを聴きながら睡眠・仕事は難しいと思うが、
車中聴くのは個人的にかなりおすすめである。
去年の四月から通勤時間が一気に増え、
車で片道一時間ぐらいかかるようになった。
その車中をどう過ごすか、色々と工夫してきた。
AmazonのAudibleを聞いたり、新しいバンドを開拓しようと思ってロックを聴き漁ったりしていた。
その中で今回出会った「音だけの漫才」は、
出勤前の眠気をシャキッとしてくれ、
スッキリした気持ちで仕事に臨むことができる、
上等なコンテンツであることを発見した。
車の中なので、いくら大声で笑っても人に迷惑をかけることはない。
Twitterにも書いたが、
もっとも私の場合は、
出勤ルートの関係で朝日がモロに当たるためサングラスをしているのだが、
サングラスをして満開の笑みで運転する様は、
前の車の運転手がバックミラーで見たらかなり引かれるだろうと思われる。
もともと若手漫才はかなり好きである。
忘れもしない、1999年、関西に住んでいた私は、
年末の「オールザッツ漫才」(関西のテレビ限定)に初めて出会って、衝撃を受けた。
若手漫才はここまで面白いのか、と。
余談だが、この時初めて、
中川家、DonDokoDon、陣内智則、二丁拳銃などを知った。
だが一番笑ったのは大トリのぴのっきおだった。
この話は長くなるのでまたいつか。
それ以来たまに漫才を見るのは好きだったが、
近年はテレビを見なくなったこともあり、
たまに思い出した時にYouTubeを細々と見るくらいであった。
M-1の存在はもちろん知っていた。
当然あれだけ有名であればやはり話は耳に入る。
それほどの国内最大規模の漫才イベントの裏側は、
一体どうなっているのか。
ノンフィクションにハマっている私は、去年大型書店に並んでいた時から気になっていたが、
今回ようやく読むことができた。
全体を通して笑い飯を主軸になっているが、
そのエピソードの合間に多くの芸人(コンビ)のエピソードが紹介され、ノンフィクションの連作短編集の様相も呈している。
どれもこれもM-1で実績を残してきた芸人で、
テレビにもよく出演しており、
最近の漫才はあまり詳しくない私でさえ、
名前くらいは聞いた事があるという芸人ばっかりだ。
それほどM-1で実績を残すというのは大したものだと思う。
M-1で優勝したら人生が変わる、
というのは何かで聞いた事があった。
それまでどれほどくすぶっていようとも、
M-1で優勝した次の日から、
番組やイベントへの出演依頼の電話がひっきりなしにかかってくるという。
まさに本書で書かれている通り「シンデレラストーリー」だ。
だが優勝コンビのその裏にはもちろん敗者が存在する訳で。
出場者7000組(!)を超えた現在では、
敗者の数は膨大なものになっている。
本書はそういう「M-1で結果を残せずに消えていった芸人」についても取り上げている。
だが少なくとも決勝まで残った芸人(つまりテレビでオンエアされる芸人)たちは、
やはり何か尖ったものを持っているわけで、
これらの漫才を見ると、大体外れはないように思える。
(それに比べると「オールザッツ漫才」の方は笑えない漫才も多かった)
それだけM-1というのはそれまでにない画期的な番組だったのだろう。
M-1は元々、吉本の社員の一人と、今は表舞台からは完全に消えた島田紳助が作った。
その成り立ちのストーリーはもちろん面白かったが、
中でもキーになるのはやはり松本人志の審査員投入だったようだ。
これで一気にこの番組にハクがついたのだろう。
今や追随するものがない、漫才関係では孤高のバケモノ番組となった。
その裏側のストーリーということで、
ノンフィクション好きにとっては非常に満足できる内容であった。
久しぶりに「読み終わりたくない」とまで思える本だった。
毎日時間のない中、10分でも時間があれば貪るように読み、
「これだけの厚さしかないのがもったいない、
上下巻、いや、上中下巻でもいいからもっと読みたい!」
と思いながら読んでいた。
この著者の事は「甲子園が割れた日」がとても面白く、
他にも高校野球ものを何冊も書いているので、その方面の人かと思った。
今回お笑いについて書いたので「おっ?」と思ったのである。
さすが筆力は十分。
読み易く、ノンフィクション入門者にも非常にお勧めできる良書である。
(追記)
最後に以下、
本書を読んで漫才を聞いた芸人、
その過程でサイトで探しながら聞いた芸人、
あるいは昔から知っていた芸人の中で、
気になったコンビについて、
順不同でコメントを書いていきたい。
・笑い飯
上に書いたように、本書の構成は笑い飯が主軸になっている。
M-1第一期とでも言おうか、2001年から中断される2010年まで決勝に出るもずっと優勝できなかったため「ミスターM-1」的なあだ名をつけられていた。
また、他のM-1の出場者にも大きな影響を与えている。
笑い飯の名前は知っていたが、漫才は今回初めて見た。
「ダブルボケ」という非常に特徴的な漫才であるが、
私にはあまり合わなかった。
だが、代表作「奈良歴史民俗博物館」だけはやはり書かれるだけあって、すごくよくできていた。
最初の数秒、あの動きだけで笑いを取れるのはすごい。
だがツッコミが無く、「あーもう代われ代われ!」と言いながら交互にボケを繰り返していく芸風は、
個人的にはなんとなくしっくり笑えなかった。
本書の裏エピソードでは二人がどれだけ尖がっているかが書かれる。
良くも悪くも尖った人の話は面白い。
まさに人物評伝としてもうってつけの二人だと思う。
・千鳥
本書を読んで、笑い飯の子分的立ち位置にいるという事を初めて知った。
だが私の中でこのコンビはあまり評価が高くない。
以前アマプラで「相席食堂」というレギュラー番組を数回見ていたが、
「ちょっと待てい!」の合図で、
登場している人物の細かい点をつっつき、イジっていく芸があまり好きでは無かったからだ。
今回も漫才は見てないし、今後も見る予定はない。
・カベポスター
M-1の動画を見るにあたってまず気になっていたコンビがこれだ。
直近(2022年)のM-1で、
トップバッターになり、
上沼恵美子に代わって初審査員をした山田邦子にあまりの低評価をつけられ、
本人たちがショックを受けていた話は知っていた。
ネットでは逆に山田邦子叩きが繰り広げられていたのも覚えている。
それを知っていたから、
「一体どういう芸風なんだ」
と思い見てみた。
印象は70点~80点の漫才というもの。
どっかんどっかん笑いを取る訳ではないが、
常に平均及第点を取っており、安心して聴ける。
例えていうならファミレスの味とでも言おうか。
「安心して聴ける」というのは芸人にとって痛い評価であるようだが、
私は十分に評価したい。
車中でもよく流しているコンビの一つである。
・フットボールアワー
本書を読んで気になった。
やはり名前は知っていたが、漫才は初視聴。
本書で取り上げられていた「SMタクシー」はそれほどでもなかったが、
それ以外の漫才を見ると、
かなりドッカンドッカンツボに入る。
私の中では現在お気に入りのコンビの一つである。
・ブラックマヨネーズ
M-1至上最も評価が高い漫才と言われる「ボウリング」ネタ。
確かにめちゃくちゃよくできている。
最初静かに始まって後半の怒涛の笑いの爆発を聴くと、
まるで起伏のある一曲のすぐれた音楽のようだ。
もちろん他のネタにも面白いものがあるが、
ややワンパターンになってしまう所もある。
ちょっと脱線するが、
漫才には「しゃべくり」と「コント」の二種類がある。
また、「コント」は衣装やセットを凝ったりするが、
その中間として、「しゃべくり」の状態でコントがいきなり始まる「漫才コント」もある。いわゆる、「じゃ、ちょっとやってみよか。俺が○○やるからお前○○やってや」から始まるアレである。
ここ数日いくつか漫才を聞いた結果、
私が一番好きなのは純粋な「しゃべくり」であると思った。
マイク一本だけを真ん中に立たせ、
コントのような設定も無く、
二人が話をしているだけで笑いが発生する。
そこに私は「笑い」というものの奥の深さを感じるのである。
・かまいたち
という訳で、上記「しゃべくり漫才」の中で、
ここ数日間で一番個人的に受けた漫才が、
かまいたちの「質問」と「トトロ」だ。
これはマジでツボにハマった。
普通ボケというのは「言い間違い」や、変な事を言ったり変な動きをしたりするのだが、
この漫才のボケは、いたって普通の事を言っている。
会話に「作っている」不自然なところが無いのだ。
それでいてドッカンドッカン笑いが起こる。
私も車中で笑い過ぎて腹がよじれそうになった。
これは本当に、
漫才の奥の深さ、可能性の高さをつきつけられたような、
単なる会話でよくぞこれだけ面白いものができたという、素直に感嘆した。
・ナイツ
「Yahoo!」を「ヤホー」と言うことで有名な、いわゆる「言い間違い」のボケ。
この二人の時事漫才の本を以前読んだときはあまり面白くないと感じていたが、実際に声の駆け引きを聴くとやはりテンポが良くかなり笑える。
これも安定して聴けるコンビである。
・爆笑問題
ナイツとは逆に、書籍(「日本言論」)を読んで笑ったコンビである。
ネットではいろいろと叩かれているが、私の中ではひょっとしたら一番好きな漫才コンビかもしれない。
太田のボケは、かまいたちとちょっと似ているが、
こちらはさらに上を行っている。
いわゆる、「ニュースに対して突っ込んでいる」のがボケになっているという、高度なボケだ。
それに対して突っ込みの田中は「そういう事言うな!」ぐらいしか突っ込みができない。
爆笑問題というより太田の地力がものすごい。
竜介・紳助の島田紳助もそうだが、
頭の良い漫才は聞いていて本当に興味深い。
・麒麟
以前漫才を見た事があって、その時は面白いと感じていたのだが、今見るとあまりだった。
・中川家
やはりものすごい実力派である。
弟の礼二の突っ込みも勢いがあっていいが、
兄の剛の芸がとにかく上手い。
昔から面白く、個人的に爆笑問題の次に好きかもしれない。
・スリムクラブ
「最もスローな漫才」ということで物議を醸したコンビ。
M-1で優勝した時かなり賛否両論だったらしいが、
改めて動画を見ると、個人的にものすごく面白い。
これはこれで漫才の可能性を見せられてすごいと思った。
消えて欲しくないコンビである。
また本作の中で描かれるスリムクラブ自身のエピソードも超面白い。
まさにこれぞノンフィクションというもの。
本書では主軸の笑い飯が、決勝やファイナルラウンドに残った他のコンビとの戦いが描かれていくが、
M-1が(一旦)閉じられる10年目、
笑い飯の最後に立ちはだかったのがこのスリムクラブだった。
弱々しいラスボスみたいな存在だが漫才の実力は半端ない。
それに対する、大きくふてぶてしい笑い飯。
その二組の対峙。
優勝者が決まった時の流れも(後述)も含めて、
「こんな事が本当にあるんだ!」と。
本書のラストはまるで作られたようなストーリーで、
思わず叫び声をあげそうになった。
・博多華丸大吉
数年前優勝した時にほぼリアルタイムで観た。
爆笑したのを覚えている。
ビートたけしが「老舗の漫才。安心して見れる」と言ってたのが印象的。
・ダウンタウン
その昔いくつか漫才を動画で見た事がある。
まあ面白くなくはないが、
この二人は「ガキの使いやあらへんで!」などのフリートークこそ実力を発揮するのだと思う。
だから司会などに引っ張りだこなのであろう。
以上。
他にもいろいろと聴いたが、
とりあえず今のところ、実際にはっきりとした感想をかけるのはこれらのコンビくらいか。
個人的な印象を少し。
漫才というのはちょっと考えるともちろんそうなのだが、
「台本」というものがある。
見ていて「あいたたた」と寒さを感じるのは、
しゃべっている裏に台本の存在が浮き上がって見えてしまうものだ。
それが見えた瞬間、冷めてしまう。
本当に優れた漫才というものは、
裏に台本の存在をほとんど感じさせない。
まるでフリートークのように自然なのである。
私はそんな漫才が大好きだ。
(追記2)
ノンフィクションもいろいろと読んできたが、
人物評伝は、いろんな意味で尖った人物たちのものこそ面白い。
アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」もそうだったが、
本書を読んで特に思い出したのは、
大崎善生の「将棋の子」だった。
あれも奨励会という将棋界の悪魔のシステムに翻弄された若手の棋士達の物語である。
まさにM-1に翻弄された若手の漫才師達の物語とリンクした。
(追記3)
一つだけ本書の難点を挙げるとしたら、
登場人物が多すぎることか。
名前が次から次へと出てくるので覚えきれない。
若手漫才に詳しい人ならすぐに顔が思い浮かぶのかもしれないが、
いきなり前に登場した名前がまた出てきたりして、
「あれ?これ誰だったっけ?芸人?メディアの人?」
と思い読み返す時がいくつもあった。
(追記4)
以下、ネタバレ有り注意。
笑い飯はM-1開始の2001年からその歴史を閉じる2010年(実際には2015年に復活するのだが当時の関係者はもちろんそんな事は誰一人考えていなかった)までの10年間、ずっと決勝に残っていたが、優勝はできていなかった。
そしてM-1最後の年2010年。
当時最強の弱々しいラスボス、スリムクラブとの一騎打ちとなる。
もうこれだけでも見ごたえ抜群なのだが、
最終審査員の結果。
7票のうち4票以上を取った方が優勝。
中田カウス「スリムクラブ」
宮迫博之「スリムクラブ」
スリムクラブ優勝か!?
ここで文章は一拍置かれるのが上手い。
渡辺正行「笑い飯」
大竹一樹(さまぁ~ず)「笑い飯」
南原清隆「笑い飯」
ここで笑い飯のリーチ。
だが漫才中、審査員、客席の笑いはスリムクラブの方が上だった。まだ分からない。
だがスリムクラブの漫才に爆笑していた一人の松本人志が笑い飯に入れて(ここにはまた色々な思惑があったに違いない)、
笑い飯の優勝が決まる。
で、終わったと思っていたら、さらに、松本人志を超える最後の審査員大ボス島田紳助はスリムクラブに入れたというオチがあった(ここにも色々な思惑があったに違いない)。
本書を1章から読んできて、ずっと盛り上がってきたエネルギーが、
この箇所で爆発する。
もう、発表される順番といい、流れといい、演出といい、完璧である。
小説ではこんなもの書けない。
本書ではこの最終決戦の合間に、その時壇上にいた笑い飯の二人とスリムクラブ二人の心境が語られる。その後のエピローグも含めて、もう十分と言えるぐらいの満足感である。
やはりノンフィクションは時としてフィクションを超える。
だから私はノンフィクションを読むのが大好きなのである。