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#1 さびしいが教えてくれたこと

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09/28

昨日でやっと平日1週間の予定が終わった。

毎日1時間半かけて通学して、
授業を2コマくらい受けて帰る予定と
通院に行く予定などをこなす。


たったそれだけなんだけど、とても疲れた。



元々体力がないから、夏休み明け直後の
この1週間で疲れを感じるのは
当然のことだと自分を励ましている。

火曜日までは元気そのものだったのだけれど、その直後に大学に向かう電車で急に
息苦しさを感じてつらくなった。



しばらく飲んでいなかった頓服薬を飲んで、
電車の席に座って、イヤホンで周りの音を遮断し目を閉じた。




吸って〜吐いて〜を10回くらい、
ゆっくり息を吐くことを意識して、
考えや不安を切り上げた。


最近やっと気持ちが安定して落ち着き始めたから、もしかしたら他の学生と同じように過ごせるかもって期待してた。


だけどそううまくいかなくて
しょんぼりした。


ここで言う『同じように』は、『普通に通学して授業に出席し帰宅することができる状態』や『学生生活を送りながらアルバイトをしたり就職活動の準備をしたりすること』。


ようやく授業に集中できるって思っていたけれど、電車通学をして授業を受けに行くだけでもう疲れ切ってしまった。



あまり無理をしないようにって、最低限のことだけしていたんだけど、自分の体感だと120%くらいの体力と気力のエネルギーを消費したと感じた。




それと、学校帰りの電車に乗っていたら、
急に「さびしい!!!」っていう感情に襲われた。


さびしいっていうか、
もう「ざびじい!!!!!!!!」
と表現した方が近いような感覚だ。


身体全体がさびしいさびしいと訴えかけてくる。それは夜になっても続き、翌日の朝の電車の中でも消えず、私は真昼間の図書館のPCの前で泣きそうになるのを我慢した。

ていうか客観的にみるとちょっと怖いな………
だって昼間から学生が図書館のPCの画面見つめて泣いてるんだよ!

しかも何も検索してないからまっさらの初期画面見て泣きそうになってるんだよ!!!

ちょっとというか、
だいぶ情緒不安定ですね、

話がそれてしまった。


それでずっとさびしくて、でもさびしいからって友達の誰かに連絡するのは、相手や相手の時間をさびしさの埋め合わせに使っているようで嫌だった。



その代わりにnoteに「さびしい、死にたい」って書いてしまった。


それくらい息苦しかったり、しんどかったり、疲れていたので、その気持ちに嘘はないんだけれど、しょっちゅうnoteで希死念慮を
つぶやいているから罪悪感がある。


noteに書くのも結局はフォロワーさんたちに心配されたいだけじゃん、、、と自分を責めている。


昨日、心理士のなおさん(仮名)にここまで書いてきたようなことを話したら、
「さびしいって感情も大事な感情なんだよ」って言われて、

さびしいが大事??? って一瞬よく分からなかったけれど、さびしいからひとと繋がろうとしたり、協力しようと思ったり、自分を大切にするシグナルだと受け取ったりできるのかもって思った。


そう考えると確かに、さびしさって感情も大事だよな。


私は発達障害の診断を受けた時から、「典型的な発達障害に当てはまらない自分が発達障害の診断を受ける権利はほんとうにあるのか」と悩みつづけている。


自分のアイデンティティーみたいなものがどこにあるのか、うまく見つけられていない気もする。


「健常者」の枠にも「障害者」の枠にも、どちらの枠にも入れないような疎外感。



だって外から見たら「健常者」と同じようにコミュニケーションができていて、学生生活も送れているから。


でも、私は「健常者」の人々が1の力でできることを7や8かけてやっとできていて、
「健常者」がマジョリティーの周囲に
毎日必死で合わせている。

自分なりに一生懸命頑張ってやっと生活できているけれど、その疲れが私の抑うつを引き起こして余計に生きづらさが増していく。



それでも、頑張ればできるのだ。頑張ってもできないひとの方が大変なのだから、頑張ればなんとかできる自分が、自分の障害を受け入れていいのか、とても悩む。


そして、どこにも属することができていない、社会に『ほんとうの自分』の居場所がないって感じる。


私の寂しさは、『社会に本来の自分の居場所がない』と感じているところから来ているのではないかと、なおさんと話した。


このnoteと私のことを理解してくれている大事な家族や友達数人だけが、『ほんとうの自分』を知っている。




なおさんと話した後の帰り道、私のような「擬態」をしている発達障害の当事者の本が欲しくて、大きな本屋さんに寄った。


典型的な発達障害のある人の説明のような本ではなく、自分のような知的には障害がなく、障害による症状が比較的軽度であるようなひとたちの経験談が知りたかったのだ。

そうして私は1冊の本を買うことに決めた。



この本の『定型発達者のように装うことに疲れたASD者たちのリアルな姿』という表紙の言葉にピンと来て、内容を少し読んで購入した。

今、少しずつ読み進めている最中だけど、自分にとってとても興味深い内容になっていると感じている。


そんなたくさんのことを考えて悩んで、心理士さんと話した昨日だったけれど、結局のところ、私は自分が生きづらくて生きていたくないと思うくらいの「適応」という名の努力が必要なら、そうじゃない道で自分らしく頑張れたらいいなと思っている。


目下の悩みは就活と就労だ。


そこで本当にこだわるべきというか、
譲れないポイントは「オープンかクローズか」ではなく、「自分が無理なく働きつづけられるか」なんじゃないか。


これからはいろんな縛りから一旦離れて、
自分がどうしたら働くときに感じる生きづらさを減らせるか、

そして、自分の発達特性とうまく付き合い、許容できるストレスの範囲で
社会生活ができるようになれるかを、
少しずつ考え続けていきたい。




【よかったこと】

本屋でたまたま通りかかった雑誌コーナーで
特集がボカロPいよわさんのユリイカ最新号を発見したこと!


私は滅多に雑誌は買わないタイプだけれど、
ユリイカだけは例外で、自分の好きな特集が組まれているときは購入をすることが多い。

しかもいよわさんが特集だとは知らなかったので、ほぼ一目惚れ!即決で購入しました🥰

これからじっくり読むのが楽しみです😆







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