太りたい自分に気づく 『呪詛抜きダイエット』
書いていると思わぬ自分に気づくもので。ジョコビッチの本に、あんなに感情が揺れると思わなかった。パンドラの箱をあけた気分だ。「食べものに支配されたくない」この抵抗運動は長く続いている。いまも。
ダイエット本とか食事指南本ってつまり、食べものを自分の支配下におきなさいってことですよね。食の誘惑に打ち克ち、自分が必要なものを戦略的に選びなさい、って。
でも、そんな小手先の理性ではどうにもならないくらい、食べものに乗っ取られることがある。ちょっと食べ過ぎちゃった〜とか、そういうレベルじゃなくて、自傷行為のような衝動がに襲われるときが。
そういう心の動きと向き合ったのが、田房永子さんの『呪詛抜きダイエット』
糖質制限、グルテンフリー、食べものから特定の物質を抜くダイエットがあるなら、自分のなかから「呪詛」を抜く方法もあるよねっていうコミックエッセイ。
▼ここから一部読めます
http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/tabusa/backnumber.html
『母がしんどい』の著者が、過食を克服していくノンフィクション。
なんだかわからないけど、たけのこの里とフライドチキンとパックのミルクティをばっばっと口に放り込んでしまったり、写真を撮られたくなかったり、鏡だって見たくない、美人のスポーツ=ヨガなんてぜったいできないし、という主人公。
どうしても過食(だと本人は思わないのだけど)が治らないなかで、精神科にいったり箱庭療法、前世療法、ヒプノセラピーなどなどを受けて、自分が食べてしまう原因をすこしずつ見つけてゆく。
単なる悪習慣です って言われたけど そうなのだろうか?
私の食べ方は何かがとりついているかのよう…
「つい食べ過ぎる」んじゃなくて
「太りやすい食べ物」を買ってきてる
その時は「食べきってやる」 前向きさすらある。
何か 私の中に 「目的」があるとしか思えない。
太る食べ物を大量に食べなければいけない「理由」がある。(p.45)
そうして、彼女はまず気づく。
自分が食べてしまうのは、みじめな自分でいると、昔の自分が安心するからだと。母に緑色のパジャマを着せられて修学旅行に行った小5の自分。脳みそが沸騰するほどの恥ずかしさとあのみじめさを、自分で辻褄合わせしないといけなかった。
お母さんにいじめられてるなんて
みじめな服着てるより悲しくてみじめなことだから
認めたくなかったんだ
お母さんにヘンな服を着せられてるからじゃない
私がもともとみじめなんだからみじめなんだ
そう思わないと私は生きてこられなかったんだ
だから私はみじめでいなきゃ いけなかったんだ(p.50)
現象で起きているのは、「たけのこの里を食べすぎます」ってこと。でもその源流までさかのぼっていくと、幼少期のトラウマにぶちあたる。
このエピソードは第1章。この調子で第4章まであるから、まあハラワタえぐりだす系の本だとおわかりいただけるでしょう。
田房さんがやっているのは、自分でストーリーを紡ぐこと。
食べすぎてしまう自分の腕を縛り上げて、たけのこの里を買わないようにする、とかそんな即物的なことじゃない。
過去の私までさかのぼって、深く関わっていた母や叔母、祖母のことを思い出し、そのなかでどんなエピソードがあって、自分がどんな気持ちになったのかを整理していく。
「そうだったのか」とあのときの自分の味方になって、泣くなり怒るなり言葉にするなりして、感情を成仏させて次へ、という繰り返し。
心から納得すると、不思議と行動が変わる。田房さんの本を読んでいると、自分は決して騙せないし、自分を本気で納得させられたときステージクリアになるんだなってことがよくわかる。あー、しかししんどい。
うめざわ
*アドラー心理学っぽい?