「精神の糧」(1)
「精神の糧」(1)
自明であるが、我々人間存在は生物に属している以上、生存の為には生命を維持する為の養分を必要とする。
人間に限らず、他の生命体も生存を維持する為には自然界、地球や宇宙からも可視、不可視に関わらず養分を得ている。こんな誰でも分かり切った事で、実は言うまでもない事である。だが、人間である我々は単なる肉体の生存のみならず魂、精神の養分をも得ているし、欲している。「人はパンのみに生きるに非ず」というよく知られた言葉がある。無論、生命保持、生存の為の生存という見解もある。精神の糧などというものなどは人間のみに生じ得る空想幻想であるという見解もある。これら多様な視点観点の生存の問い自体を人間の得手勝手な都合のよいこじつけであるという哲学者が今日の趨勢であることは自然科学の加速的な発展発達に依拠する。
「絵に描いた餅は食えぬ」という我々人間存在も所詮は他の如何なる諸生物体と基本的生存条件は変わらぬ、それ以上でも以下でもない。それ以上と思うのは人類の驕りでしかないという唯物論的世界観に依拠した見解は大多数の人々の魂を浸食しているのである。此処の観点に呪縛され、世界観となる限りは我々人類も他の微生物も含めた生命体と同等の存在である。この観点を基点とする限り精神の糧など人間が自己弁明の為に捏造した観念にすぎぬ。ましてや芸術などというものは単なる暇つぶし、贅肉であり趣味趣向にすぎない。かつてサルトルが言った「飢えた子供達や人間達を前にしてに文学は有効か?」などという観点のずれた埒もない事を言うような事となる。
この問題は依然として決着はついてはいない。今後も簡単には万人が納得するような答えは出まい。
今日の世の有様は混沌かつ曖昧な状況のまま、いよいよ異様な混濁混乱した問題を裡に孕みつつ進行しているのである。