「戯言」日記より
「戯言」日記より 2009-05-09
私自身は自分の年齢など特に意識しない。
だが、かつての内部からおのれを焼き尽くす、灼熱するような情熱・意欲が
今は湧かぬ。
前の私は相手が老人であれども容赦なく踏み込んでいた。
無論、見境なく、ということではない。
相手が誰であれ、踏み込んではならぬ魂の聖域がある。
ただ、今の私をかつての私が観たら容赦なく叱咤されているであろう。
無論、今の私も今の自分の立ち位置から反撃をするであろうが。
理屈はどうとでもつくのである。
私が身につけた魂の遠近法は鋭敏な即興的感受を必要とする。
今日、私が身につけた遠近法は既に血肉化されている。
ゆえに、練磨され、今の歳になりて身動きもままならず、という体たらくである。
これは私にとっては明らかに相矛盾する在り様である。
一昨年、私はこの意識状態を打破せんと食を断った。
24日目でこれ以上は無駄と痛感し断念。
さらにはこのような無理も祟ってか、昨年、両眼が網膜剥離となる。
このような書き込み内容などただの愚痴にすぎぬ。
或いは、老いぼれの戯言でもある。
たかが60歳で老いぼれとは笑止であるが。
今朝は少し乱心気味なのであろう。
私にとって生きる意味と表現活動は不可分である、という基本は微塵も変化してはいない。
このような書き込みも私自身が半ば呆れながら書いているのである。
ゆえに戯言以上でも以下でもない。
これを読まれた方は無視されてほしい、と思う。