徒然雑感「死生観」
24年前の文章ですみませぬ。
相も変わらず金太郎あめの如き内容です。。
日記は戯言のようなつぶやきです。。
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徒然雑感「死生観」2009-05-30
私も数え年では60歳である。
一般的には歳を経るともに角が取れて丸くなるという。
確かに洞察力が増して無駄な時を過ごさぬ、という意識状態にはなりやすい。
歳を経たからといって基本的な生き方・信念が変化するわけではない。
これは個々人によって差異がある。
私と同じ志を所有していて、最後の仕事をしようとした人物は1999年に亡くなった。
他者、世間の誤解や無理解を前提に生きていた。
私が生存中に出会った最も大きい存在であった。
大きいとは懐の深さや理念の大きさを含む。
社会的には無名に等しい人物であった。
私は彼の亡くなった歳より既に7年も生き延びている。
肺癌末期であった彼は全国から集まってくる人物達に普通に接していた。
私はその光景をただ観ている事しか出来なかった。
立場が逆でも同じであったであろう。
ただ、私の内心では「お前たちは彼を早死にさせたいのか!」という怒りにも似た感情があった。
彼に会いに来る人物は多種多様であった。
裏社会、極右・極左、文化人、公安、新聞記者等々。
同空間にて私がギャラリー、彼は「古書店・閑人舎」を高田馬場にて開設していた。
私と彼との関係は誰にも理解できなかった。
無名に等しい画家と何故一緒に組んでいるのか、と殆どの人物は訝っていた。
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下記は私の日記より
二〇〇〇年 一月一日(土)
此の最も重要な世紀の節目に私は満五十歳になる。
高次の自我意識が覚醒した二十六歳以降、いつ死んでも良いと思っていた自分が五十歳まで生きていることが不思議ですらある。
かつて人間界に興味が無く、十四歳で画家を志し、徹底的に個人主義を自由に謳歌しようと決意した。その時の意志は天性の無常観によるものであった。
無論、高次の観点よりすれば粉砕されてしかるべき世界観である。個人の個人による相対的世界観など単なる無知の知の意識でしかない。さらに歩を進める為にはその無常なるものを日常の中で血肉化しなければならない。そのためには悲惨で過酷な環境、状況がこの私にとって必要であった、というにすぎぬ。
さて、私自身は今生で果たした役割は十分済ませたと思っていたが、新たに自分の今後の生き方を再び生きねばならない。余生の余生という人生がまだ残っているらしい。半ば即興的人生、本性むき出しの方法であろうとは思っているものの、今までに染みついた魂の遠近法の緻密さが自縄自縛となっている。まずこれを完全に払拭せねばならぬ。再度、心身の強化が要求されている。
今、自己の内部で活動、非活動の対極の意識が共存している。しばらくはこの戦いが日々に影響を与えるであろう。この自覚も今の自分にとっては相対的な眼差しで捉えている。更に新たな意識が備わらなければ空間と同化した存在となるであろう。やっかいなことに、私には死の恐怖が無い。これ又、如何ともし難いことである。
阿部勉氏の死は本来の私には影響を与えない。単に彼の意識の変容が生きて成し得なかった事を残念に思うだけである。それだけ精神の深化は困難であるというにすぎぬ。共に戦うには過酷なのであろうとしか言えぬ厳しい戦いである。他者を巻き込むのに躊躇するのはあまりにも自明であるか。
踏み迷う者多かれど更に進む者何処にいるか
未来の来たるべく存在に賭ける べきか否や
我この毒杯を再び飲み干せるや否や
此れ運命のままにゆだぬる
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