「死と対峙する」
「死と対峙する」
*写真は私が40歳(1990年)の時です。(むむ、、若い、、。。)
、、この年の暮れに肺結核になった、、。。
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私は過去に何度も死にかけた事がある。
5歳までに3回ほど水中で溺れた。
私が幼かった頃、年に一度は筑後川の支流沿いにあった村の堤防が決壊していた。一度目は洪水の後で父がたらいの中に私を乗せて泳いでいた。
私はたらいを揺らすのが好きっだったらしい。揺れるのが余程面白かったのか、たらいを何度も揺らしていた。そのうちにたらいがひっくり返り、私は濁った水中に沈んだ。
二度目は川遊びの時に同じ村の8歳位の子供が私を背中に乗せて水中に潜ったのである。
私は不意に潜られたので苦しくなり相手の背中から離れた。その時の水中の中で川岸にあった大きな石が暗い緑色をしていたのを覚えている。
三度目は川の砂利を業者が掬い取ったであろう深さ1メートル強位の穴の中にずぼっと入ってしまった。誰かが私の頭を踏みつけて助けてくれたのだと思う。
5歳の時には犬かき泳ぎが出来ていたので2歳から4歳の時までの出来事であるのは間違いない。
3歳の時の洪水の時の記憶を鮮明に覚えている。屋根から見た光景は濁流を流されていく牛や豚等、庭にあった桐の木に無数のヘビが巻き付いていた。
私は自転車で坂道をブレーキをかけずに猛スピードで走っていた。10メートル先はコンクリート壁があった。壁に激突寸前で急ブレーキをかけて6メートル位吹っ飛んだ。これに似た自転車の事故は何度かあった。
建築現場で働いている時には足場解体の時に何回か片手一本でパイプにぶら下がったことがある。自分達で組んだ足場のではない足場解体の場合はかなりの危険が伴う。2年以上かかる大きな現場では少なくとも一人か二人の死者は出る。
トラックの荷台の3メートル程の高さから後ろ向きに落ちた事がある。
私は生死に関わる時には時間がとてもゆっくりと感じる。地面すれすれまで自分が落ちていくのが解る。地面に落ちる寸前に全身で受け身を取る。或いは回転して極力衝撃を和らげる。
時間が半ば止まったような感覚、これは幼い時から何度も経験した。
銀座でギャラリーを経営している時に一度意識的に「死」と向き合おうという気が起きた。
私は自殺などという行為は一度も考えた事は無い。
現実に自分の肉体の極限状態で「死」と直面した時にどのような意識状態でいられるのか?という状況に自らを置こうと思ったのである。
私は誰も知らぬ山中に行って試そうと決意した。
10日前から食事を極端に減らしてその準備をした。
周囲の親しい人物達は少しは心配したものの私が決意したことは貫くという事を知っていたので誰も止めなかった。
私は7日程食を断つことはあったが、水は飲んでいた。
今回は飲まず食わずで自分が何処まで持つか、肉体の死を前にしてどのように感じるか?の実験である。
箱根湯本駅から徒歩でひたすら歩き、夜になってから道から少し離れた小さなお宮の中で休んだ。二日目、早朝から歩いている時に山へと続く道に入った。自分の肉体をとことん疲労させようとしたのである。
台風が近づいていたので雨が降り始めた。狭い砂利道の山道をどんどん進んだ。
駅から20キロ近く上り坂を歩いたと思う。
山頂近くに木造りの小さな橋があった。殆ど人は通らない。
私は幅4メートル位の橋の下に入って過ごす事にした。
私の真横を稲妻が走っていた。
この稲妻に打たれたら即死だろうな、と考えながら見ていた。恐怖は全く無かった。
私の眼下には街の灯が蛍の様に光っていた。
夜になっても私の意識は異様に澄み切っていて、感受性も鋭敏になっているせいか眠りに落ちなかった。
一夜が7日か10日にも感じられた。
四日目になると意識はしっかりして鮮明であったが、私の肉体は普通に歩くくことも難しい程衰弱にしていた。
台風が近づいている為に風雨も強くなっていた。
私が休んでいる橋の下の川とも呼べぬ川であったが、最初はちょろちょろと流れていた水の流れが徐々に増してきた。
私は現実の死を間近に迎えても何の不安も感情も湧かないのを知った。
……これ以上、じっとして居れば誰にも発見されずに死ぬであろう、と思った。
私が居る場所は誰も知らない。
私は下山の決意をした。
私が居た場所は碓氷峠であった。
私は雨で濡れた山道の砂利道を何度か転倒しながら歩いた。
、、帰ってから或る人物に言われた「あら、早かったわね。最低7日は帰って来ないと思っていたのに」と。
*おまけ、同じく40歳の時。
朗読ライブの後。