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「小林秀雄の晩年」


「小林秀雄の晩年」

小林秀雄の妹である高見澤潤子が「兄 小林秀雄」(新潮社)の中で晩年の小林秀雄の事を書いている。
私はこの著作を小林秀雄の死後出版された時に購入していたが、その内に読もうと思い、今日に至った。

迂闊と言えば迂闊であった。
小林秀雄は「本居宣長」の次は「聖徳太子」を書きたいが、次の世代に託す、という文章をどこかで読んだ記憶があったからである。

「兄は『本居宣長』の後は、ルオーのことを書きたかったのである。『ルオーのことを書く事はキリストを書くことであり、キリストまでさかのぼって書くのは非常な時間と努力が必要で、自分の年齢を考えると、とても出来ない、もう書けない』」
さらにその後、「わかったよ、ルオーはキリストを描いたんじゃない。風景の中にキリストの仮の姿を描いたんだよ。そうなんだ、そうわかると、何だか、ルオーは書けそうな気がして来た」と、言っていたそうである。
小林秀雄は既に八〇歳になっていた。その後、彼は入退院を繰り返して二年後に死ぬ。
既に小林秀雄は「ゴッホの手紙」の中でキリストを人間の理想としたゴッホの手紙を引用している。

「キリスト一人だ、あらゆる哲学者達、魔術師達その他の中で、キリスト一人だ、永遠の生と、無限の時と、不死こそ確実である、と断言し、平安と献身との必要、その存在理由を確信したのは。彼は清らかな活きた、芸術家中の最大の芸術家として、大理石も粘土も色彩も軽蔑して、生きた身体で働いた。つまりこの未聞の、殆ど考え難い芸術家は、馬鹿げた神経質な、僕等現代人の頭脳の、頓間な手段を用いて、絵も描かなかった、彫像も作らなかった。本も書かなかった。彼は堂々と断言した。彼は生きた人間達を作った、不死の人間達を作った。・・・・かういう考えは、ベルナール君、僕等を遠い、実に遠い、実に遠いところまで導いて行く。芸術上の高みにまで連れて行く。生きる芸術といふものと、生き乍ら不死である芸術を垣間見せてくれる」(ゴッホの手紙)

このキリストに関する内容を、拙著「小林秀雄論」に引用したので下記に掲載します。

「前略 青山二郎との対談の中で小林秀雄は日常秘めていた本音を語っている、彼は言う『否 定する精神なんてないさ。僕が今度ゴッホで書きたいほんとうのテーマはそれだよ。ゴ ッホという人はキリストという芸術家にあこがれた人なんだ。最後はあすこなんだよ。 キリストが芸術家に見えたのだ。それで最後はあんなすごい人はないと思っちゃったん だ。だから絵のなかに美があるだとか、そういうものが文化というものかもしれないさ、 だけど、もしもそんなものがつまらなくなれば自分が高貴になればいいんだよ、絵なん か要らない。一挙手一投足が表現であり、芸術じゃないか、そういうふうなひどいところにゴッホは陥ったので、自殺した、と僕は勝手に判断している。――』
さら に、『牧師だって絵かきと同じだ。』と。又、『――何のためにパレットを人間が持たなけれ ばいけないのだ。絵の具を混ぜなければいけないんだ。どうしてそんなまわりくどい手 段を取るのか、キリストみたいに一目でもって人が癒されればいいじゃないか。何んで手が要るんだい、道具が要るんだい、ゴッホはそういうところまで来たのだよ。だけど それがゴッホの運命さ、そんなことをゴッホはとてもよく分かっていたのだけれども、どうすることもできなかったんだ。』と。そのゴッホの痛感した、味わった『いかにかすべきわが心』を、小林秀雄も骨の髄まで味わった。青山二郎はそんな思いは『あこがれ』にすぎぬと言う。この溝は深い、――。 後略」

この内容を語る事自体、何とも如何ともし難く、難しい問題です。
此処に投稿した内容は小林秀雄を読み解く「核」ともいえるものだと思っています。



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