今日は加藤直次郎の命日
今日は加藤直次郎の命日である。
.......16年経た。
在りし日の直次郎と私
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突然の訃報であった。
2008年4月1日の夜に電話で「主人が今朝亡くなりました」と。
私が加藤直次郎と出会ったのは、まだ銀座で画廊を開設して2年に満たぬ頃であった。
私は彼が画廊に入った瞬間に投げかけたセリフ「来るのが遅い!ずっと待っていた」と。
彼は当時まだ26歳であったが、既にフラメンコ界ではカンテとして大舞台を数多くこなしていた。
出遭い以後、私の活動と連動して様々なイヴェントを企画プロデュースしたり、異端的存在や生き難い人物を数多く紹介した。
私の妻と同じ「急性大動脈乖離」であった。
私よりも生きる予定のはずが48歳で肉体から去った。
私は彼の死に対して、哀しみよりもある種の名状し難い怒りが揺らめいている。
昨夜彼の自宅近くのS病院の霊安室に会いに行った。
眠っているような穏やかな表情であった。
私は彼に「肉体が無いということは今まで以上に働いてもらうからね」と。
奥様は私と彼との出会い・因縁を理解していたので、私が通常の会話ではなくとも了解されていた。
2008年4月3日
告別式終了後、嘆き悼む多くの弔問者を背後に直次郎を乗せた
霊柩車に先導され焼場に向かう。
道半ばにて桜並木通過。
花びらの絨毯が地上から舞い上がる。
桜花が風に散る。
陽光を浴び舞ふ金色の桜花ひとひらひとひら
その光景や浄土空間より降りそそぐが如し
さて焼かれたる真白き骨骨等。
その中に見事なる座禅する姿形の喉仏。
骨在りし者吐き出したる最後の言葉
俺にはやる事が山ほどある、残っている。今死ぬわけにはいかぬ。
彼の声が空間に染み入り響く。
寺に帰宅途中の桜並木様相異変せる。
緋色に舞ふ桜花ありぬ
ほのくらきよよにちりまひただよひもゆるよとあによよに
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