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ヴァレリー著「テスト氏」(小林秀雄訳 創元社)

ヴァレリー著「テスト氏」(小林秀雄訳 創元社)

ヤフオクで「ヴァレリー著テスト氏」小林秀雄訳の初版本(昭和14年)が500円で出品されていたので落札した。

私は清水徹訳の「テスト氏」は随分前に読んだことがある。
小林秀雄の翻訳はどのようなものであるか、興味があった。
さすがに難しい旧漢字が多くて辞書を引きつつ読んだ。

小林秀雄はこの創元社から出版する7年前に翻訳、二三訂正して出版した、と書いてある。
31歳と言えば彼が孤軍奮闘しつつ批評活動していた時期である。

「テスト氏」の翻訳文からは小林秀雄の張りつめた緊張感、悲壮感、激しい熱情が感じられる。
小林秀雄自身の翻訳序文の文章にも何とも名状し難き激しい、祈りにも似た想いが込められている。

「前略 『人間』がそのまゝ純化して『精神』となる事は何の不思議なものがあろうか、人間が何物かを失ひ『物質』に化す事に比べれば。 -中略ー 僕は繰り返す。何處にも不思議なものはない。誰も自分のテスト氏を持ってゐるのだ。だが、疑ふ力が、唯一の疑へないものといふ處まで、精神の力を行使する人が稀なだけだ。又、そこに、自由を見、信念を摑むといふ處まで、自分の裡に深く降りてみる人が稀なだけである。缺けてゐるものは、いつも意志だ。」

小林秀雄はヴァレリーと親和融合しつつ作者の意図を汲み取り、自分自身の言葉に置き換えて翻訳する。

この小林秀雄訳「テスト氏」を読んだ或る読者が恫喝するような小林秀雄訳よりは清水徹訳の方が分かりやすい、などと感じるのは真摯な自己探求をせぬ己を恥ずべきだと思う。

2020年07月04日


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