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人間も、社会も、そんなもんじゃない。
ミスドに行くと、ドーナッツの穴をどうやって埋めようか考えがち。
どうも梅おにぎりです。
早速ですが、皆さんは「綺麗ごと」というとどんなイメージを持ちますか?
私は性格が悪いので、理想論を表面上だけでのうのうと語っている人をみると、綺麗ごとばっかり言いやがって、と思うことがあります(最低)
つまり、理想論を言っていることに対して、「綺麗ごと」と認識しているわけです。
例えば日常生活で上司や先生に、現実的なことではなく、ただ夢や希望を持て、などと言われても納得できないですよね。
しかし、最近この「綺麗ごと」について少し考える機会がありました。
それは「なぜ君は総理大臣になれないのか」というドキュメンタリー映画を見た時のことです。
※ネタバレ注意
この映画は、香川1区で、「ジバン、カンバン、カバンなし」小川淳也衆議院議員の2020年までの17年の闘争を記録したものであり、ゲテモノばかりの世界で、誠実に国を変えようとした男と、それが中々認められない今の日本の現状を映したものです。
この映画の主題は、今の日本の現状を訴える、ということだと思うのですが、今回はそれとは少し違う視点で考えようと思います。
小川議員はこの映画の中で「ただ真っ直ぐに」とは言えない迷いや葛藤などを抱えながらも、県民に誠心誠意向き合って、実直にそして誠実に選挙戦に臨みます。
しかし結果はそう上手くいかず、比例代表では勝てるものの、小選挙区では中々勝つことが出来ません。
結局、小川議員が小選挙区で勝ったのは2009年が最後となったまま、映画が終わりに近づいていきます。
映画の終盤、小川議員が一つ一つ言葉を紡ぐように話す一幕があります。
そこでの言葉が、
「やっぱ諦めちゃいけないんですよ。これは例え政治家辞めようが死のうが諦めちゃいけないんですよね。社会はそんなもんじゃねえ、人間はそんなもんじゃねえ、というところに対する飽くなき理想、飽くなき追求は、議員でいようが政治家でいようがいまいが、人間で生きていようが死んでいようが、それだけは諦めちゃいけない。」
正直、私は息をのみました。
人間や社会の現実を痛いほど感じてきた彼が、こんなことを言うんです。
それは、強く真っ直ぐであるからこそ、彼だからこそ、言える言葉ではないでしょうか。
私は普段、理想論を語る人に対して、それは綺麗ごとだとか、現実見ろだとか言って卑下することがありました。
でもそれって、私の弱さから来ているものなのかなと思うんです。
現実をしっかり見て、立ち向かったうえで、理想に対する追求を止めない。それに対して、諦めずに声を上げる。
これって凄く勇気がいることですよね。
理想ではない、黒い部分には決して手を染めないんです。
そして、だからこその生きづらさや葛藤が生まれる。
こういう風に考えると、彼が言っている理想論は「綺麗ごと」ではないのかもしれません。
だって、現実にしっかりと立ち向かっているから。
私は、彼のようにはなれません。
そんなに強くもないし、黒い部分に立ち入るからこそ解決できることもあると考えるからです。
だけれど、彼のような存在は、社会にとっても人間にとっても、とても大切なように思うんです。
理想への追求を止めてしまったら、それこそ希望も未来もなくなってしまう。
どんな社会であっても、全てを綺麗ごととして片づけるようにしたくない。そんな風に思った梅おにぎりでした。
では、今回はこの辺で!さいなら~。
👇映画の予告編です。