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『人間の教科書』 世界はオンラインゲームか?【人間は神を模倣する】

皆さんはゲームやりますか?

僕は大人になってからは、ゲームからは遠ざかってしまったのですが(そのくせゲーム会社に勤めてたw)
中学生くらいまでは、かなりやり込んだ方でした。

いまは多人数で同時プレイするオンラインゲームにのめりこむ人が増えているのでしょうか。

かくいう僕もそういったゲーム開発にたずさわっていたことがあります。

そのゲームは毎日、昼夜2回、チーム戦でバトルできます。

ここに各プレイヤーは、めいめい服装や装飾具でカスタマイズしたアバターで参加してきます。

で、もうそのチーム内には「第2の現実」とも呼ぶべき関係性があるんです。

みんな、アバター自身になりきってプレイしてるんですよね。

ぼくはなんとなくそういうカルチャーに違和感があって同じように入り込めなかったのですが(そんな奴がゲーム作るなって感じかもしれませんけど💦)そういうコミュニティを遠目に眺めながら思いました。

「これって、なんかに似てるんだよなー。なんだっけなー。あぁ、そっか、この現実とおんなじじゃん」と。

現実でやってるのと同じことを更にゲーム内でもやる意味が分からなくて全然のめりこめなかった替わりに、ぼくはそんな斜に構えたような気づきを得ていました。

とすると、神さまが世界を創造したと言われているのも、このゲーム開発によるゲーム世界の創造と同じような営みなんじゃないかなと。
それだったら分かるし、ありえる話だよなーとも。

とすると翻って今この現実が、すでに肉体というアバターに乗り込んだ結果の人間ゲームだったとしても不思議じゃないよなと。

もし神的な存在か実在するなら人間のやっている天地創造を遥かに上回るクオリティで天地創造できるのは当然でしょうし。

当時はスピリチュアルに関心も馴染みもなくて、どちらかといえば、うさんくさいイメージしか持っておらず、遠ざけた方がいいものくらいにしか思っていなかったのですが、にもかかわらず仕事の中でそんな感慨を抱いたのを覚えています。

今思えばこの辺りからすでにぼくのスピリチュアル的な関心というのは実体験を通じて育まれてたみたいですね。

こういった視点から世の営みを捉え直してみると、人間が行っているほぼすべての活動が「神への回帰」になっていると言えることに気がつきます。

そんなつもりで日常を営んでいる人は皆無だと思いますが、結果的にはどこを見てもそうなっているんじゃないでしょうか。

交通網の発達も、出来るだけ早く安全に(つまり神さまのように)目的地へ着きたいためです。

IT機器も、インフラの整備も、医療の発展も、あらゆる研究開発も、すべて全知全能的な状態へ近づくための営みです。

耳かきを作ることも「耳のかゆみを解消したい」という欲求を叶えるためですし、子どもが道路に落書きをするような一見実用的ではないことですら、それはひとつの世界の創造です。

いまはメタバースなどのVRやAI、量子コンピュータ、クローン技術や臓器を作り出してしまうようなバイオテクノロジーなど昔だったら考えられないことが現実化しつつありますが、これこそ「神への回帰」を彷彿とさせるものですね。

メタバースなど仮想上に世界を創造してそこで様々な社会生活を再現しようというのですから、神が行ったという天地創造の模倣と呼んでもなんの違和感もありません。

要するに人間は知ってか知らずか、誰もが神へ戻ろうとしているようなのです。
(あるいは神への回帰的な営みによって間接的に"自分自神"を体感していると言ってもよいかもしれない)

このように人間の営みがあまねく全知全能を志向するが如きものになっていることに気がつくと、翻ってここに神の実在が信憑性高く見えてくるように思いませんか?

そしてこういった技術が更に発展していった先、2045年にはシンギュラリティ=AIの知性が人類全員を足した分の知性すら超える時代が来ると言われています。

人間が限りなく神に近いものを自らの手で作り出してしまう時代が、現実としてもうすぐそこまで来ているわけです。

こういった社会となってくると、昔からスピリチュアル界隈でよく言われている内容、
例えば「人間は神の分け御霊で、生まれてくる前にすべて決めてくる」といった話も、
ただの世迷言や生きやすさを得るための(ともすれば現実逃避的な)方便ではなく、むしろ真実だとみなせる可能性が高くなっていることが分かります。

というか、ぼく個人としては、もうこれが本当だろうとみなして暮らしています。

もちろん客観的な証拠は無いですし、そんなものを見つけるのはほぼ不可能じゃないかとも思えます。

けれど、そのような世界観で生きていくこと自体には実際なんの不便も不自由さもないばかりか、真偽はどうあれ、実際問題そうみなした方が生きやすくなるのは確かですから。

そのような人生観、価値観で生きる人は今ものすごく増えていますよね、きっと。

要するに時代が変わってきているのではないでしょうか。
「客観性が最重要視された時代」から「自分軸が最重要視される時代」へと。

技術発展の末にシンギュラリティは本当にいつかは到来するのかもしれません。

けれどそれが2045年に来るかと言えば、少し疑問です。

ゲノムの解析がけっきょく期待された通りに進んでいないのと同様、むしろ「人間には(意識のようなふるまいをするAIは作れるとしても)意識そのものは作れない」「人間の意識はコンピュータにはアップロードできない」といった気づきの方が訪れるのではないでしょうか。

つまり意識は3次元世界で再現できるものではないと分かり、魂というものの本質や輪郭がより明確になってくるのだろうと思っています。

研究開発や技術が進むことで人間は神から離れるどころか、かえって神の実在をより信憑性高く認識せざるを得ない事態になっていくでしょう。

これもまた「神への回帰」の別パターンと言えそうです。

いずれにせよ、この技術発展の行く末をこの目でしっかりと目撃しないわけにはいきません。
ミステリードラマの謎解き回を待ちわびる気分です笑

今日もお読み頂き、ありがとうございました。

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