ドラマ #MIU404 第6話
昨年のドラマ #MIU404
年始にTVで一気放送していたものを録画していて、それを今のタイミングで見ている。今日は第6話
元相棒の死を、自分がこうしていればそうならなかったかも知れないと抱えたままで生きていた。当時の事故を紐解いていく話
あの時こうしてたら、、、
あの時ああだったら、、、
「チャンスはあった。何度も。だけど声を掛けなかった」
あれから何度もなんどもなんども考えた。
スイッチはいくらでもあった。
悔いても悔いても時間は戻らない。
誰にも、大なり小なり過去のいろんな出来事を、引きずって、捉え直そうとしても簡単には難しいことってあったり、見ないように・考えないようにしようとしても引っかかり続けることはある。
それが、何かのキッカケで捉え直せたり、忘れられたり、スッキリ出来たりすることもある。
それがいつどうやって起こるかって、それも人それぞれ。
今回のドラマは、「自分のせいで死んでしまったのではないか」と引きずっていたお話。大なり小なりで言えば、「大きい」ほう。相手が死んでしまったという結果によって、過去のことをへの引きずり方やダメージは大きいから。
結局は死の真実が分かったので捉え直せた話だったけど、これって、今回のよなどうにもならないことへの上書きに対しては、それぞれに合わせた方法でしかないのだろうか。
今月は、3.11から10年というタイミングだったので、震災の時のことをどう乗り越えたのか?という話や震災支援をどのようにしてきたか?という話のいくつかの事例を聞いて重ねていた。
最近書いた記事にも重なる。
こうやれば良い。という誰にでも当てはまる方法は私は知らない。
でも、誰かにとってのヒントやキッカケになるような私なりの行動は模索したいな。
そして、今回私が一番心が動いたセリフは、合間で
弱音を吐いた部下に対して、先輩が声を掛けた
「間違いも失敗も言えるようになれ!バーンとあけっぴろげによ!
最初から裸だったら何でも出来るよ!
運動したら、喉が乾いたからちょっと1杯でも行くか!」
間違いや失敗を言えないで苦しくなったりモヤモヤしてしまうことってあると思う。
その背景には、プライドや恥ずかしさ・人からどう思われるのかを気にすることが原因なことも多い。
私もこの先輩のように、最初から裸であること(ありのままの自分を受け入れること)を伝える人でいたいし、間違いや失敗を言ってもらえるような人間でいたい。
そして、「ちょっと1杯でも行くか?」って誘えるような優しさを持てる余裕のある自分でいたいと思ったセリフだった。