シナリオライターの私と現実の私
何も知りませんみたいな顔をして生きている。
最初の方に趣味はあらかた書いたと思うけど、映画や文学方面のサブカル趣味はありつつも、普通にサンリオやちいかわのキャラクターものは好きだし、化粧品と服に凝るのが好き。
趣味は紅茶を飲むこと、水族館や神社仏閣もよく行く。
だから、はたから見た私は普通の独身を謳歌している30代の女性だと思う。
ただ、近年はどちらかというと実生活の場でも「シナリオライターの私」として見られることが多い。
元々、友人もほとんどがプロ、仕事の人間関係が実生活にも大きくかかわるようになってしまったし、多い連絡もチャットツールで仕事の業務連絡。
在宅ワークなので、実生活の話をすると仕事の話は自然と出てしまうのでそうすると大体の人は私を作家のように扱う。
みんな私を夢を叶えた人間として好きなことをして生きていると認識しているらしい。
私が未経験から商業媒体のシナリオライターをしていて未だに甘いと思うのはプロとしての線引きが曖昧な点だと思う。
私とお仕事をしたことのある企業様が一部知っている経歴や参画しているプロダクトを加味しても私はどうあがいてもプロの人間なのである。
でも、この何々という作品を書いた私、とどのつまり、シナリオライターとしての私の存在に時々、苦しくなる。
そろそろ慣れないと潰れてしまうと思う。
それくらい大切なお仕事を任せてもらっているし、待っているユーザー様も多い。
個人的にこの事象について書いたのは、もしも、私のnoteのにおいて「何者かになりたいからプロを目指す」という方がいるのなら私はあまりオススメしない。
すぐに潰れてしまうと思うから。
確かに、プロのシナリオライターというだけで人から見られる目は驚くほどに変わるのは認める。
けれど、私は自分で自分の文章を最短距離で上達する術、自分の作品を多くの人に届ける方法がそれしか思いつかなかったのだ。
私の場合、シナリオライター以外に職歴らしい職歴はないから後戻りはできないのに、その段階でも重圧でうだうだ悩んだりする。
何者かもしれない私の存在は自分の存在を許すアイデンティティになっても、けして、私を救いはしない。
個人的な意見になり、恐縮だし、手垢のついた意見だとは思う。
プロになるのは物書きとしてスタート地点に立つようなもの。
ある程度の能力さえあり、努力をすれば達せられる。
少し傲慢な言い方になるが、そこにすら立てないのならばこの先は確実にない。
そこから仕事をコンスタントに貰い、プロとしてステップアップしていく方がよほど難しいからだ。
ちょうど、あと3か月で商歴5年目が終わる。
私には多少のスキルと実績ができ、30代に突入した。
そこで次に悩んだのは30歳からのお仕事に対する意識とプロとしての在り方について。
もう引き返せないところまでは来てしまったように思うから、これで生きていかなくてはいけない。
実際、私もこの言葉をデビューして数か月のときにいただいた。
今ならまだ引き返せると。
唯一、私が先輩らしいことを言えるとしたらその覚悟はあるか。
プロの環境での執筆は楽しい。
常に周りや上の方は自分以上に書けるシナリオライター先生しかいない。
いくら努力しても笑われない。
全力でシナリオを書いても、向上以外の道がない。
とても良い仕事だと思う。
でも、物語を書くということは良いものにしろ悪いものにしろ感想をいただく。
ましてや、商業的に活動したいのなら売れるシナリオを書かなければいけない。
誰かがシナリオライターという肩書で付加価値をつけていくのも避けられない。
その覚悟があるかは、大事なことなので問うてみてほしい。
なぜ、あなたはプロになりたいのか、これを明確にすることは大事だと思う。
目的さえ定まっていればそう簡単には折れない。
辛い、苦しいと思っていても物語を書くのが楽しいのならば、努力し、試行錯誤すらも楽しいのならば、あなたはきっと最後までやりとげられるはず。
昨日、久しぶりに現実サイドの私に戻る機会があった。
よくこのnoteに名前が出てくる男友達が主になって18日は母校の友人と遊ぶ予定がある。
私の母校の話も散々しているが、私の同期も3分の1は分野は違うが、プロで仕事をしている人間ばかりだ。
圧倒的に私より場数が多い人間も多い。
たぶん、みんなプロとしての顔を持つのだろうけど、母校の集まりでは不思議とそのままの私(みんな/当時の同級生の関係)でいられる。
昨日は久しぶりに私が私のままでみんなで遊びの計画を話して楽しかった。
普段は友人とふたりなので、あんなに多い人数で話したのも久しぶり。
楽しくてはしゃいでしまった。
私が私でいることに心地良さと安心感を覚えてしまった。
でも、同時に有り体の自分を見せるのも久しぶりだったし、この2日は公的な手続きが多く、仕事から離れていた。
特に友人と2年も継続しているラインをしていると取り繕う必要がないので、ひどく安心してしまった。
彼から見たら私はすごいワガママで騒がしい女性なのだろう。
でも、信頼しているから普段の生活でも見せないような私の姿を見せられている。
なんだか、そのことに救われてしまった。
かつて、私にとって、プロの世界は遠かったように感じる。
でも、今はそこにしかいられない。
仕事は本当に楽しいし、やりがいがある。
でも、私はとても人見知りなので、仕事先の人は大好きで尊敬しているが上手く関われているかは分からない。
先生方はみんなやさしい。
でも、時々、自分が迷子になってしまったように感じる。
だから、昨日みたいに実生活の、たぶん素の私を出した後に現実であるところのシナリオライターの私に戻るのに駄々をこねてしまう。
それでも、シナリオを書くと楽しくてその世界に没頭してしまうのだけど。
たぶん、どちらの私も私なんだろうけど、どちらの私も不慣れでおっかなびっくりといった感じで生きている。
でも、友達の前ではちゃんと安心できて、ちゃんと話せているので不思議だと思う。