大人はみんなデカい赤ちゃんだよ
こんにちは梅おにぎりです。
今回は大人は皆かつて赤ちゃんだった…ということに思いを馳せた話です。
・できないのが当たり前
・自分にも人にも期待しない
・人は皆認められたら嬉しい
・できないのが当たり前
たまにすごい怖い人とかムカつく人に会うことはありませんか?
私はリアルではほぼ遭遇しませんが、ネット上でたまに見かけます。
いわゆるクソリプを送ったり誹謗中傷してる人です。
自分に向けられてなくても不快
そっと閉じても似たようなのをまた見てしまって自己嫌悪
いちいち気にしてしまう自分に腹が立っていました。
よく、足りない大人がいたら大きい子供だと思えばいいよ って聞くけど
全然子供みたいに可愛くないよ
てかこっちはそいつのかーちゃんじゃねーよ!
誰に対しても聖母のような気持ちでいないといけないの?
などと思っていました。
しかし…
自分自身が…
人から子供が誉められるように褒められて認められた時…
なんとも言えない、膝から崩れ落ちるような、心が決壊するような、不思議な気持ちになったのです。
「大人なんだから」
「親なんだから」
「社会人なんだから」
だから、ちゃんと頑張らないと。
いつから人は「ちゃんとする」様になるんでしょう。
周りの大人ってぱっと見ちゃんと大人に見えます。
勉強して
仕事して
家族持って
悪いこともダメなこともしない人に見えます。
それは大人がしたらいけないことだから。
でも、赤ちゃんがコツコツ苦手なことも嫌なこともやるしかなくて逃げないで積み上げてきた
その結果が今で
皆があまりに当然にそれをするから
歳を重ねるごとに結果だけ見られ
過程を見守って褒めてくれる人は少なくなっていって
むしろできてないところにスポットが当たることの方が多くなって
もう◯歳なのにダメだなあ…て思って
自分でも分かってるのに
もっとしっかりしなさいって言われて
みんなすごいな…って…
そうやって生きてるから、
一切の思いやりに欠けた言動を見ると
心の底から怒りが沸く…
良い歳した大人が恥ずかしくないのか?!
って
赤ちゃんが皆同じ速度で同じように大人になって何でもできるようになるわけではないこと
今まで考えもしなかったと、最近気付きました。
・人にも自分にも期待しない
誰かに怒りや失望の気持ちを抱いた時
それは期待が大きかったということです。
赤ちゃんは何してもすごい!
となる…
何にもできないと思ってるから。
自分や他人に、期待しすぎているところは無いでしょうか。
大人なんだから、って。
これくらいできるでしょ
これくらいやるの普通でしょ
もっとすごい人いるよ
って。
人材育成のプロが、子供を持ったことをキッカケに、人間育ては年齢関係なく共通の部分があると体系化したメルマガを読んでいるのですが、
いつもこちらも褒めて認めて諭してくれるので嬉しくなります。
ママ、じゃなくて、
人間を育てることになった人間
として扱ってくれているんです。
美化も理想もなく、ただ淡々と論理的に、できてるところは認めてくれて、改善点を教えてくれるんです。
親なんだからこれくらいできるでしょ?
という水準の高さはなく、
無知でなんなら子供好きではない人でも出来そうな、もはやマ⚪︎クのマニュアルレベルで書いてあります。
そういう扱いを受けているうちに、自分は誰かに対して
大人なんだから
友達なんだから
親なんだから
…
というハードルを設けて勝手に期待していたことに気付きました。
同様に身近な人だけでなく顔も知らないクソリプの相手にも
人間なんだから最低限の礼儀と思いやりあるだろ
と勝手な理想を押しつけていたとも思いました。
発展途上の子供であれば、良くないことをしてもやり直す機会を無限に与えられます。
どこか子どものまま育ってしまった、
言い換えると、未熟のまま育ってしまった凸凹だらけの大人
そんな大人は思ってるより多いのではないでしょうか。
自分は立派な大人です!
と胸を張れる人はすごいと思います。
沢山努力をされたと思います。
でも本当に全ての分野で平均点以上を叩き出せるのでしょうか?
仕事ができても、何故か倫理的な部分が欠如している方も少なくないように思います。
クソリプの主も、もしかしたらそういう凸凹に成長してしまった人かもしれません。
あなたが許せないと思うあの人もそうかもしれません。
・人は認められたら嬉しい
ありのままで愛されるのは赤ちゃんだけ
よく聞く言葉です。
でも赤ちゃんでさえウンザリされて親は1人の時間が欲しいと思うことがあります。
愛してる
と
嫌だな
が同時に存在することはあり得ます。
全ての人がお互いにとってそういう存在であればいいなと思うのは綺麗事でしょうか。
クソムカつく大人が、かつて赤ちゃんだったと思うと、どうしても憎むことに罪悪感と悲しみを覚えます。
ダメでしょ!
と叱ることと
遊ぼ!
と
仲良くすることは同時に存在できます。
相反していないのです。(全く同じ瞬間には存在できない、タイムラグはあります。)
ずっと仲良い友達が、ちょっと私の地雷を踏んでしまったことがありました。
ハッキリと悲しみを伝えましたが、
それはもうしないでくれというよりも、
またしたってまた仲良くしような!
という意味を込めました。
親身に話を聞いてくれる人がうっかり無神経な発言するのを聴くと、前はすごく傷ついていたと思います。
でも、相手を思う気持ちがあっても間違えること、伝わらないことは、沢山あります。
これは赤ちゃんから教わりました。
もがいてもがいて、良きメルマガに出会いました。
人は間違う
そしてそれを繰り返す
思いだけあっても伝わらないことだらけ
育児だけでなく人間関係全般に言えることだと思います。
恋愛でも
部下の育成でも
もしかしたら育児書は役に立つかもしれません。
育成は
「育てられる方」に目が向きがちですが
「育てる方」をも育てていくこと
大人でも
完璧に見える人でも
誰でも
認めてもらえたらとても嬉しい
赤ちゃんが何かできるようになった時と同じように
自分の成長も大人の成長も喜べる
そんな風でありたいと最近思いました。