先生が生徒の作文を読むときに見ていることはただひとつだけ
国語科の教員は生徒の作文を流し読みにしている。
ひどいと思うだろうか?
でもすこし考えてみてほしい。
もし5クラスの授業を担当していた場合、1クラスが30人だとしたら150人分の作文が集まるわけだ。
長期休みの宿題で読書感想文を出したなら、休み明けに150人分の作文が回収される。
わたしは高校生150人分の作文なら、残業してでも1日ですべて読み、全員にコメントを書き、評価をつける。
しかし、もちろんほかにも業務がたくさんあるから、ひとりひとりの作文をそんなにきちんと読む時間はないのだ。
だから速い。
めちゃくちゃ速い。
流れるようにザッと読み、流れるように「よく書けています!」「ここをもう少し深く書いてください」など適当なコメントを書き、流れるようにしっかりと評価をつけている。
その流れ作業のなかで注意深く見ていることはただひとつ。
本人が書いているかどうか。
わたしは普段の授業でもちょくちょく文章を書かせているので、生徒の文章力は把握している。
つまり、インターネットからコピーしていたり、保護者が書いていたりすると、すぐにわかる。
わかった途端にげんなりする。
そして容赦なく評価を下げる。
だから、子どもの作文に手を出す保護者は、いますぐやめたほうがいい。
子どもの評価を上げているつもりかもしれないが、子どもと自分の評価をまとめて下げ、めんどくさい保護者だという印象を与えているだけなのだ。
ここで生徒の文章力について触れておこう。
それなりの作文を書ける生徒はクラスにせいぜいひとりくらい。
極めて上手な作文を書ける生徒は学年にひとりいるかいないか。
そういう生徒の作文は流し読みなどせず、気合いを入れてじっくりと丁寧に読む。
でもね、それ以外のほぼ全員は、どれもこれもへたくそなのだ。
ありきたりだったり、優等生ぶっていたり、肯定ばかりだったり、主張がぶれていたり、深みのないポエム調だったり、「すごいと思います」の連発だったり、読書感想文ならあらすじが大半だったり、そもそも文法など根本的な部分が未熟だったり……
あくびが出るほどへたくそ。
たまに笑ってしまうほどへたくそ。
あまりにもひどいと職員室で「ちょっとこれ見てくださいよ〜」とネタになることすらある。
それでいい。
いや、それがいい。
自分で書いているならば、どんなにへたくそでも、かわいくて、大事で、意味があるのだ。
ということで、少なくともわたしは、本人が書いているかどうかということのみ注意深く見ながら、ほぼすべての作文を流し読みにしている。
教員は生徒に文章力を求めていない。
自分自身で取り組む姿勢を求めている。
へたくそでもいい。
とにかく自分で書いてほしい。