高校の教員が「この保護者は毒親だな」と見抜くポイント
「毒親」という言葉を見聞きするようになってひさしい。
時代を遡ればマザコン、教育ママ、教育虐待、過保護、そして現代の毒親など、どれもおなじような存在を指していると考えられる。
要は我が子に圧力をかけて管理と支配(コントロール)をしようとする親のことである。
程度の差はあれども、そのような親はいつの時代にもどこの場所にも必ずいて、多くの子どもたちが苦しんできたため、時代の変化とともにさまざまな呼び名が生み出され、その都度多くの共感を得るのであろう。
きっとこれからも新たな呼び名が生み出されていくはずだ。
さて、今回は我が子に圧力をかけて管理と支配をしようとする親(以下は毒親と書く)を見抜くポイントについて、高校教員の視点から書いていきたい。
基本的に、毒親は身体的暴力やネグレクトなどに比べ、見抜くことが難しい。
むしろ表面的には仲の良さそうな親子関係に見えたり、何の問題もなさそうな親に見えたりすることもよくあるはずだ。
しかし次第に慣れてくると、あくまでもそれは表面的な取り繕いに過ぎず、実態を見抜くポイントがちらほらとあることに気づいていく。
そのもっとも顕著なものは進路活動だとわたしは感じている。
自分の親は毒親から程遠いという自覚のあるひとは、高校の進路活動を振り返ってみてほしい。
きっと自分で進学先を調べ、資料を取り寄せたり友人とオープンキャンパスへ行ったりして検討し、ここを受けたいと自分で思って、最終的に親の了承を得たのではないだろうか。
つまり高校生にもなると、自分の進路は自分で調べ、考え、決めるのである。
それが高校生の一般的な進路活動だ。
※もちろん発達障害・知的障害・精神疾患・経済状況など、考慮すべき事情があれば保護者が進路を決めることにもなるが、その場合はあくまでも生徒の将来を考え、生徒主体で話が進む。
しかし、毒親は違う。
我が子の進路活動は自分の実績になるため、自分の希望を押しつけたがる。
そのため三者面談などで進路に関する話題になると、生徒ではなくなぜか保護者主体で話が進み、なるほど、保護者のための進路活動をしているのかと教員が初めて気づくこともある。
では、毒親だと気づくにあたり、特徴的な言葉をひとつだけ挙げてみよう。
(進路を決めるにあたって)
「子どもの意志を尊重します」
これを聞いてどう思うだろうか。
子どもを第一に考えている理解のある親だと思うひともいるかもしれない。
しかし、先ほど書いたことを思い出してほしい。
高校生にもなると、自分の進路は自分で調べ、考え、決めるのである。
進路を決めるにあたって子どもの意志を尊重することは当然なのに、わざわざ保護者がそれを形式的に主張する状況は、どことなく不自然に感じられるのではないだろうか。
果たして本当に生徒が望んでいるのか?
生徒は親の希望を自分の希望として発しているだけではないのか?
わたしはこういった言葉を聞くと、理解のある親だと思うのではなく、反対にその背景として、親による圧力・管理・支配が潜んでいる可能性を考える。
教員は表面的な態度や言葉に惑わされてはいけない。
親子関係をよく観察し、なぜこういった言葉を口にするのかという背景にまでしっかりと思いを巡らせたほうがいいだろう。
なお、生徒が親の意見を発することについては、こちらの記事でも触れている。
子どもは無意識のうちに親の顔色をうかがい、親が期待する言葉をそのまま自分の言葉にすり替えてしまうことがしばしばあるのだ。
次に、毒親に育てられている生徒の傾向を、思いつくままにざっと挙げてみたい。
・態度が良い。
・幸福感が薄い。
・特に目立つようなタイプではない。
・提出物の期限を守る。
・字を丁寧に書きノートをきれいにとる。
・教員に対して敬語で話しかける。
・教員に対して遠慮がちで顔色をうかがい、愛想笑いを浮かべて本心を出さない。
・教員などの大人に対して親のことを「父」「母」「両親」と礼儀正しく呼ぶ。
・家族に関する具体的な話をしたがらないし愚痴を漏らさない。
・もし何か勘付かれたとしても「大丈夫です」と遮るように返す。
・三者面談になると普段よりも明らかに緊張した面持ちになる。具体的には「親が余計なことを言うかもしれない」「教員は親を刺激しないでほしい」などという心境が感じ取れる。
ざっと挙げてみたが、これらを読み、どう思うだろうか。
「すこし控えめな良い子ではないか」と感じるかもしれない。たしかにそのとおりだ。
もちろんこれらのあてはまる生徒すべてが毒親に育てられているというわけでは決してないし、毒親に育てられている生徒すべてにこれらがあてはまるというわけでも決してない。
ただ、少なくとも、教員に対して「うちのママは毒親だからウザいんだよね〜」などと言い放てるようなのびのびと育っている生徒よりも、よっぽど可能性は高そうである。
教員は表面的な態度や言葉に惑わされてはいけない。
「すこし控えめな良い子」に見える生徒に対しても安易にそうだと決めつけず、注意深く観察したほうがいいだろう。
我が子に圧力をかけて管理と支配をしたがる親は、いつの時代にもどこの場所にも必ずいる。
しかし表面的な部分は取り繕われてしまうため、見抜くことが難しい。
だからこそたくさんの親子と接する機会を持つ教員は、客観的な視点を持って見抜くポイントを抑えるとももに、それよりも大切なこととして、生徒が相談しやすくなるような関係性を築くよう努めなければならない。
親の背景に潜んでいる生徒の心が、積み重なる日常のなかでゆっくりと押し潰されていることに、すこしでもはやく気づいていきたい。
*以下の記事も関連している。
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