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#津波
フクシマからの報告 2020年秋 沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く 人口帰還率6% 浪江町を歩いた 写真ルポ(下)
前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。
上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を書いた。今回は方角を東から西に反転して、阿武隈山地の山間部を訪ねる。
前回のおさらいをしておこう。
浪江町は東西に長い。西の町境から太平洋岸まで35㌔ある。東京圏でいえばJR東京駅から八王子駅の距離に近い。福島第一原発のある双葉町の北隣。町の中心部は原発からは約8㌔しか離れていない。
2011年3月1
フクシマからの報告 2021年冬 10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続ける
2021年3月で福島第一原発事故の取材を始めて10年が経つ。その10年の間、ずっと気がかりでありながら、取材をする勇気が出なかったことがある。
震災直後の2011年の春、私は福島県南相馬市に入った。同市は原発から約25㌔のところにある「浜通り」(太平洋沿岸)地方の基幹市だ。
原発から20㌔圏が国の命令で「警戒区域」として立ち入り禁止にされ、30㌔圏は屋内退避になったころの話だ。私は、まさにその
フクシマからの報告 2021年冬 渋谷区より広い核のゴミ捨て場が 4500人のふるさとをのみこんだ 撤去されるのは2045年 帰還人口2.5%の大熊町を歩く
福島第一原発事故の被災地に行けば、延々と続く黒いフレコンバッグの山を目にしないことはない(下の写真は2014年5月14日、福島県大熊町で)。
中身は除染ではぎとられた汚染土や、解体された家屋の廃材である。福島第一原発の原子炉から噴き出し、一帯を汚染した放射性物質が含まれている。
政府は、住民を強制避難させている間、ばらまかれた放射性物質を除染し、それが済むと「帰ってよろしい」と避難を解除した。
フクシマからの報告 2021年春 汚染土の埋立地にされても 家族が幸せに暮らした街を守る 津波で娘・妻・父を亡くした 大熊町・木村紀夫さんの静かな抵抗
今回の報告は、2021年2月11日付け「フクシマからの報告」で書いた記事
「10年前見た行方不明の家族を探すチラシ そのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続ける」の続きである。
(上は木村さんが2011年春当時、避難所や市役所に貼って回ったチラシ。私は南相馬市役所ホールの掲示板で見た)
福島県大熊町、福島第一原発から南に4キロの海岸部に住んでいた木
フクシマからの報告 2020年秋 商店街・モール・ボウリング場… 町がまるごと消えていく 3年で住民の帰還率6% 原発から8キロの浪江町 写真ルポ(上)
今回は2回に分けて、福島県浪江町の現状を写真を中心に報告したいと思う。
2011年3月11日の福島第一原発事故で、全住民が強制避難させられた原発20キロ圏内の市町村のひとつである。町の中心部から原発までは、南へ約8キロほどの距離だ。
原発事故当時は2万1434人の住民がいた。強制避難の対象になった11市町村の中では、人口最多の大きな町だった。
避難が解除されたのは6年後の2017年3月。しか