「そろえる」は悪なのか
11/12(金)に【気楽に、気軽に教育を語り合う co-ed Cafe(コエド カフェ) vol.19】を開催しました!
トークテーマは「『そろえる』ということ」。一般にはあまり耳馴染みのない「そろえる」ですが、先生方にとっては毎週のように耳にする言葉だそうです。果たして、先生方からは何が語られたのでしょうか。
▼先生たちは「そろえること」が目的化している
社会のあり方、学校のあり方が変化している中、学校だけが取り残されているのではないかという課題意識の共有からコエドカフェがスタートしました。そこで出てきた言葉が「そろえることが目的になっている」でした。「どんな子どもに育てたいのか」「どんな子どもになってほしいのか」といったビジョンの共有をすることなく、例えば「授業における指導法をそろえましょう」と手法を統一することが目的になってしまっているそうです。
▼子どもにも「そろえること」を求めている!?
先生方の中には「同じであることが前提となっていて、授業が全員一律に同じ進度で進んでいくことに違和感をもっています。」という方もいらっしゃいました。
先生と先生の間で「そろえる」だけでなく子どもたちにも「同じ内容を、同じペースで『そろえること』」を求めてしまっているということです。
「そういう教育からは脱却しなくては」という文脈の中でとてもわかりやすかったのは体育の授業の例でした。
====================
1時間の授業のゴールを「全員が前転をできるようになろう」とすると前転が得意な子にとっては物足りなさを感じ、前転が苦手な子にとっては苦痛を伴うものになってしまいます。ですから、「みんな違う」という前提に立つならば、授業のゴールは例えば「前転を上達させよう」とする。着地にこだわる子がいても、前転している最中に膝を伸ばすことを目標にしている子がいてもいいんです。
====================
「そろえること」よりも子どもたち自身がゴール設定できること、自分のペースで授業を進めることができることが、今の子どもたちに必要な気がするのです。
▼コエドカフェを終えて
先生たちの世界で「そろえること」がここまで大きな問題として立ち上がっていることを初めて知りました。
「たしかに先生一人一人個性があって、違って当然なのだからガチガチにそろえなくてもいいよなあ」と思う反面、「やり方は違ってもいいから、先生たちの間で『どんな子どもになってほしいか』は『そろえて』おいてほしい」とも思いました。これは家庭での子育てにおいても同様であるような気がします。
「自分の子にどうなってほしいか、そのためにどんな声かけ、どんな接し方が必要なのか」と、親も先生と同様に自分の子どもに対して「ビジョン」は持っていたいものです。
最後になりましたが、参加していただいた皆様、夜遅くまでありがとうございました!!
※月に2回、小中学校の先生方、一般企業にお勤めの方、子をもつパパ、ママで「教育」に関係することを様々な切り口で、そして気楽に気軽に意見交換する【co-ed Cafe(コエド カフェ)】を運営しています。ぜひ、一緒に意見交換して明日からの学校現場やご家庭に還元してみませんか?
⭐️LINEのお友達登録はこちらから!👉 https://lin.ee/EyfFr2p