整いましたと、湯らっくす
熱を持った体、一歩づつ深まる水深。
冷たい、冷たい。ながらも少しづつ。
そして急に、底が抜ける。
”足がつかない…!”
少しパニックになって、水を飲む。
大丈夫、大丈夫。
背伸びをするように足をピンと伸ばせば、微かに底に触れる。
ただそこから顎を上げても、水面までは届かない。
息が出来ない。
もう少しだけ沈んで、底を蹴る。
飛び出すように顔が出る。額には髪の毛がへばりつく。
冷たい、冷たい。
ハァハァ息をして、壁のポールに捕まる。
しばらく水面に顔だけ出して浮かんで、じっとしている。指先が痺れだす。
もういい…か。階段を上がり、水風呂を出る。
この擬似的な極限状態。交感神経が優位になって、動物的な本能である闘争・逃走反応が起こる。
血中には、アドレナリンが放出されているのだろう。
少しフラつく。
気分は、凍てつく冬の海から、命からがらの生還を果たしたところ。その先に向かうは、
白い椅子である。ここで休もう。
***
でも待った。まずは体をよく拭いてから。
全身に水滴残さずよく拭いて、椅子に深く掛ける。
自然の幅に足は開いて、
目は開けてはいられない。
目を閉じたあたりから、はっきりと自覚される。
冷えたカラダの表面の、その奥に熱がある。ここから体の隅々にまで、血管の中を、小さな火が運ばれてゆく。
安心のさ中、副交感神経が優位になる。脳内にはセロトニンやオキシトシンが分泌される。深いリラクゼーションが押し寄せようとしている。
後頭部がやたらと重い。
綱引きの最後尾のやつが、糸をつけて引っ張っているかのようだ。
左足のそばを外気の風が抜ける。
夏の手前、土手でゆれるアザミのようなぬくもりを感じる。
後頭部のつっぱりの余韻は少しづつ解けてゆき、
再び開いた時、以前よりも大きく目が開く。
***
館内着に着替え、ラウンジスペースに移動する。そこで、これでもかと冷やされたビールを飲む。
食道を通り、真下に落ちた液体は、胃の底ではぜて広がり、マグマの岩を冷やす。
一緒に行った連中は、それぞれに感想を言う。おいしいとは言わない。
”気持ちいい”
と言った。全くの同感であった。
熊本は、人生初のサウナにて。
(以上)
補遺
熊本県「湯らっくす」は、サウナの聖地とも呼ばれ、最深部で鉛直に171cmある水風呂が有名。熊本市を流れるこの水は地下水(ミネラルウォーター)で飲用も問題ない。むしろうまい。
最近は、「サ道」で有名になっているらしい、サウナの温冷交代浴。”整う”については、こちらなどが参考になるかも。