ブルシット・ジョブからの逃走
朝、起動前のノートチェックで、coucouさんのこの記事が目に入った。
「世の中って、完全、100%なんてないのに、人って100%を求めてしまうんだよね。30%にしてみない。」とおっしゃるのだが…良い。
「30%」というのが、優しい。
ベンチャーで仕事初めてもうすぐ半年なんたけど、実のとこ、あまりの自分のポンコツぶりに嫌気が差してやめようかと悩んでいた。
ベンチャーはじめて、業界も初めて、しかもプロジェクト・ファイナンス(新しい事業の採算性を弾いて資本戦略を考える)はかつてやっていたコーポレート・ファイナンス(組織の利益のためのリソースの配分の最適化を考える)とは全く違うし、加齢のせいか常用薬のせいかしらんけど自分は劣化しているし。
先日凄まじく忙しいなかで色々足を引っ張ってしまったので、山を超えてから、実際、辞めようかと申し出たら、社長は、「目先のことは気にしていないし、ポテンシャルを感じるから」と言って引き止めてくれた。ポテンシャルってアラフィフに使っていい言葉だったか?
それで、かつての自分とは違う今の出力を認識するとこからコッカラッスって思って勉強し直す気力があるかどうか考えてたとこだったので、
coucou さんの言う「30%」は、うわぁ、やさしい。と響いたのである。それなら自分を許せる。も少し踏ん張るか。
かつて若い頃に「ゆっくり時間をかけて100%の仕事をするのではなく、スピード優先で80%の仕事をしろ」といわれたこともあった。
しかしそれは、土台急成長中の外資IT話。私はもはやその手の「Fast is better than slow」のドグマを信じていない。
世の中にはいろんなデッドラインがあるもので、特に日本は、実は「時間を守る」のがとても得意な国だと思う。それは純粋にすごいことだ。英国に住んでると、電車もバスも遅れ放題、家の修理も約束の時間に終わったら超ラッキーというありさまなので、日本のほうが民度が高いという人も多い。
一方で、博物館の予約も時間や時には日付がずれても入れてくれるし、カードがなくて慌ててもまあええわ乗っちゃいなーとバスに乗せてくれるようなゆるい運用の良さもあるので(あくまで仕方ない時にってことだけど)、いや、ルール厳守はすごいけど、それでないと振り落とされる社会のほうが生きにくいよ、と私は思う。
少し前に、福岡の中学教員が、出願の提出期限を間違えたために生徒が高校受験できなくなった話がニュースになっていた。どうなるんだと横目で見てたら、最初「決まりですから」と突っぱねてた高校側も、世論を受けて最終的には受け付けたみたいだね。遅れてもなんとかなる前提になったら収集がつかなくなるからというのが事務方の言い分なのだろうけど、できる範囲での例外処理をしてあげる優しさは、完全に封印しないほうがいい。
ルールに則って厳密に迅速に行動することにおいては、人間は機械に完敗する。どんな仕事も、そのルールの守り手として偉そうにすることに体重を乗っけたら、いわゆる Bullshit job、クソくだらなくて意味のない仕事になる。AIに居場所を奪われるのはそんな仕事。
だから、はみ出した依頼者を断ることではなく、裁量を発揮して助けることにこそ人間の仕事の価値があると思う。
自分に対しても他人に対しても期待は30%あたりにおいていこうよ。
自分の出来なさを許すためにも、私はそう思った。