ロマン・ポランスキー「戦場のピアニスト」(2002)150分
さて、ポランスキー(1933〜)である。2024年現在、性犯罪者として複数の被害者から告発されている。2020年セザール賞で最優秀監督賞を「ジャキューズ(私は告発する)」で受賞した時、会場の女性俳優が女性司会者が退場したという話も記憶に新しい。まずは「ピアニスト」の感想から始めたい。
この話はホロコーストを生き抜いた、実在するユダヤ系ポーランド人ピアニスト=ウワディスワフ・シュピルマン(1911〜2000)の体験記をもとに作られている。ワルシャワで平和に暮らしていたユダヤ系ポーランド人の家族が、ナチス・ドイツの侵攻で理不尽な仕打ちを次々と受け、そして彼以外の家族は収容所に送られ命を失うことになる。しかしピアニストの彼だけが過酷な逃亡生活を経て、生き延びた。
この作品でアカデミー主演男優賞を最年少で受賞した主演のエイドリアン・ブロディの表情がとにかく素晴らしい。彼のいつもどこか悲しげな目が、この作品の背骨となっていることに異論はないだろう。
このキャスティングだけでも、ポランスキーの監督としての力量は想像できるわけだが、ワルシャワの街も人も荒廃していく過程が、ワルシャワを愛する者にしか描けない痛々しさで描かれている。
潜伏先のアパートから追い出され、巨大な瓦礫と化したワルシャワの街に、シュピルマンがささやかなジャンプ・カットで溶け込んでいく。不適切な表現かも知れないが「美しい」とさえ感じさせるシーンだ。
そして、最後にシュピルマンを救ってくれたドイツ兵との交流と、立場の逆転。ナチスに限らず、強い立場になった時(あるいは弱い立場に追い込まれた時も)、その人の本当の品性(正体)が試されるのだろう。ポランスキーは、単なるユダヤ系のリベンジ的作品を超え、人間の正体を暴いていると認めざるを得ない。
この作品がカンヌ映画祭のパルムドールや、アカデミー賞監督賞・脚色賞を取ったというのも納得してしまう(蓮見先生はどうおっしゃるだろう)。
性犯罪の話に戻る。私はできれば、その人と作品は分けて考えたい。たとえ犯罪者であっても、素晴らしい作品を製作する能力は評価すべきと考えたい。でも、被害者がいるとなるとそう簡単ではない。ましてや、ポランスキーは、若い女性俳優に対して圧倒的に優位な立場にある大監督である。その特権的地位は、この作品で描かれているナチス・ドイツの兵士や、形勢逆転後のユダヤ人たちと変わらない(パレスチナに侵攻するイスラエルのことも脳裏をよぎる)。
ポランスキーは、自ら映画で描いた醜い人間のありさまを地で行ってしまったのか?それなら、やはり厳しく断罪されなければならないのではないか。己が自ら映画製作で行ったように。
ps) この映画を見た後、アマプラを放っておいたら「ナチス絶滅収容所」という連合軍の作った記録映画が流れた。まさに地獄絵図であった。被害者一人ひとりにそれぞれの人生があったのに、と思うとやりきれない。改めてホロコーストの恐ろしさと被害者の無念を思う。合掌