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スティーブン・スピルバーグ「プライベート・ライアン」(1998)170分

「地獄の黙示録」から20年。映像も役者もだいぶ洗練されている。冒頭のノルマンディー上陸作戦の戦闘シーンは、戦場の残酷さがこれでもか!とリアルに(?)描かれている。ある講義で「動物実験の画像がつらい」と言っていた学生さんがいたが、イマドキの学生さんにはキビシイ映像なのだろうか? 

 ここからはネタバレになってしまうのだが、このストーリーはナイランド4兄弟という実在の兄弟がネタ元だという。第2次世界大戦中に、4兄弟のうち3人が戦死したと伝えられ、末弟フリッツ・ナイランドがノルマンディーの戦場から米国に送り返されたという実話である。その後、長兄がビルマの日本軍捕虜収容所で生存していたことがわかり、帰還している。BBCによるナイランド兄弟の従兄弟のインタビューによれば、米軍がフリッツの米国送還を決めた時、「フリッツは最後まで戦場に残りたがった」と。そしてフリッツの「捜索」は存在しなかったと語っている。

 なぜ、米軍は「フリッツを帰還させよう」と考えたのか?ナイランド兄弟の場合は、次男〜四男の3人がノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)に参戦しており、2人が戦死している。しかも長男もアジアで戦死と伝えられていたから、ナイランド兄弟の全滅を避けようとした米軍の「温情」ということになるのだろうか。

 実は、1948年に制定された「Sole Survivor Policy」という「家族が全員戦死することを避けるため、残った生存者は戦闘から外す」という米軍の規則が大きく影響しているという。そのきっかけになったのが、1942年11月13日米海軍巡洋艦「ジュノー」が日本軍に撃沈され、サリヴァン5兄弟が全員戦死した事件だそうだ。ナイランド兄弟の場合も、法律制定以前だが適用されたのだという。

 しかし、映画では末弟に当たる「ライアン」の捜索が命じられたことで、新たなテーマが与えられている。「命の重さ」というテーマである。救わなければならない「ライアンの捜索」のために、戦場で「命を落とす兵士」。どちらも同じ「命」なのである。
 ここには軍の上層部が考える「ヒューマニズム」が、現場の兵士にとってはどれほど残酷な「アンチ・ヒューマニズム」なのかという「格差」と、軍隊という「究極のブラック組織」の構造が見えてくる。

 映像的には、さすがハリウッド大作だけあって、計算された完璧な画が続いている。私の印象に残ったのは、戦場(と言っても、一見平和な山の野原)を行軍する捜索隊の「引きの映像」(野原から空いっぱいのバックに、8人の兵士がポツンと歩いている)。このパターンは度々使われ、きたる戦闘へのそこはかとない恐怖を感じさせる。
 また、トム・ハンクスが慟哭するシーンを押さえた「あおり」のカメラアングルが、強く伝わってきた。講義では「あおりの映像は、相手を大きく見せる」というセオリーを教えるが、そんなテクニック論は関係ないなと改めて。

 そして、トム・ハンクスは本当にうまい。どんな愚作に出ていても、トムはすごいが、愚作でない時の破壊力は圧倒的だ。そして理不尽な「ライアン捜索」がつづく中で、いつしか観客の興味は「ライアンて、どんなやつだ?」に変わっていく。その答えとなるハリウッドのスターシステムのすごさ。なんだろうね、スターって。。。

 映画の中で使われる「FUBAR」という言葉。
Fucked Up Beyond All Recognition「修復不可能なほどメチャクチャになった状況、出来事、人物」を意味するそうだが、そのスラングこそ「戦争」そのものだということに落ち着くのが、一番きれいな感想なのだろうか。







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