ロマン・ポランスキー「チャイナタウン」(1974)131分
「シド・フィールドの脚本術」で絶賛されている作品である。本書では「脚本の冒頭10ページが、勝負を決める!」。いわゆる「ファースト・テン」の重要性が繰り返し述べられている。脚本1ページ=映像1分とすると、映画なら冒頭の10分ということになる。「チャイナタウン」脚本は、その成功例として紹介されている。
ど頭の変な写真に、泣いている男の声がかぶるという強烈なオープニングである。しかし、シド・フィールドが激賞している「誰かを殺して逃げ切るには、金持ちになることだ」というセリフが含まれる上記(131-133頁)は、映画ではカットされている。実に興味深い。
シド・フィールドは、脚本のパラダイム(見取り図)として、状況設定➡︎葛藤➡︎解決、の3部構成を繰り返し語っているが、この3部の切れ目に当たるプロットポイント(切り替え点)を、この映画を見て学べという。
実際、本の中で「チャイナタウン」ではどこがプロットポイントなのか書かれているのだが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように時代設定が明確に分かれているわけではないので、気をつけて見ないと見過ごしてしまう。無意識的に感じているかもしれないが、言語化できるほど自覚できていないという感じ。
それにしても、設定が実に複雑で細かい映画だった。ロサンゼルス水道局のスキャンダル、ヒロイン(フェイ・ダナウェイ)の複雑な家族関係、辞め刑事のギテス(ジャック・ニコルソン)のエピソード等がてんこ盛りで、お腹いっぱい。昔の人の方が、知的水準が高かったのかなと感じさせるほどだ。
時代ギャップは、ニコルソンがダナウェイに手をあげるシーンでも大いに感じられた。今でもドメスティック・バイオレンスは大きな問題だが、映画で女性を殴るシーンが出てくるとハラハラしてしまう。今ならコンプライアンスを気にしすぎて、肝心の現実を見落としている頭でっかちに対する警鐘になるのかもしれないが。
「チャイナタウン」を激賞しているシド・フィールドはこの映画を30回以上見たという。まだまだ初回では、読みが甘いのだろう。
映画は「謎解き」をして終わるが、その読後感もなかなか複雑である。ただ、全体のシニカルで知的な雰囲気を作り出しているジャック・ニコルソンとフェイ・ダナウェイの抑えめの演技は、深く印象に残った。