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私は息抜きができない
私は息抜きが下手だ。
回り道せずに、最短距離を走り抜ける。
それが私。
そんな私が限界を迎えたというお話です。
では息抜きとの付き合い方について、どうぞ。
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仕事をしたいという気持ちは抑えられない、
もはや便意をおさえられないのと一緒
でも私は5分を浪費する。
30分じゃないけど、まず5分。
やりたくないことをやってみる。
やりたいことが自分を苦しめる前に。
いわゆる「息抜き」といわれることが
まったく息抜きにならないタイプの人間は必ずいます。
そう私のように。
息抜きが回り道に感じる。
最短距離を駆け抜けたい私にとって、
回り道はストレスです。
ただ、そんな回り道のない生活に、
疲弊している私がいる。
「息抜き」の辞書的意味を調べてみると、
緊張をゆるめ、また、多忙をのがれてしばらく休むこと。息やすめ。
空気ぬきの窓・あな。
びっくりするほど、私にマッチしないんですよ。
緊張がゆるむことはないし、
休んでいてはなおさら多忙をのがれられないし、心は全く休まらない。
ここでいうスマホゲームは私にとって明確に我慢。
やりたいことをせずに、我慢をする練習。
思い出してみると小さいころ友達の使っているおもちゃを使いたくて、友達をたたいてしまった時、
それはいけないことであると教えてもらって、
「かして」といえるようになる。
すると、自分の心が持つ貸してもらうという目的を達成しやすくなる。
いつだって人は心に従って生きるための手段を学ぶんですよね。
自分らしく、社会で生きていけるようにその手段を練習をしているんですよね。
生活の練習。自分らしくいために、生きやすくする手段を練習する。
今回でいう、私にとってのスマホゲーム。
ものすごく無駄に感じるけれど、全然やりたくないことだけれど、心の余白を維持するための練習。
あなたもあなたが「無駄」で「やりたくないこと」
本当に無駄ですか?
最短距離が心を蝕んではいませんか?
自分らしく生きていくために、練習してみてもよいかもしれません。
この無駄が、人生の練習なんだと思えたら、
心の余白を取り戻し、やっと息抜きができるのかもしれません。