ワニさんは確かに生きていた
乗り遅れた感は否めないですが
ワニさんのやつがバズっていたので
便乗でもしてみようかと笑
もともとこのブログは『死とはなにか』という本の紹介から始まって
死について書いていこうと思って始めたものだったので
不謹慎かもしれませんがおあつらえ向きといいましょうか…。
僕はそこまで熱心に見ていたわけではないのでラストまでの三日間くらいしか見てません。
あとは100日目の考察をさらっと流した程度です。
考察の中には
一日一日の尊さだったり
自分や周りの人がいつ死ぬか分からないから後悔のないように
といったものが多く見受けられました。
僕としての率直な感想は
命の重さとか尊さ云々よりあんなポップな絵に
命を吹き込んだ作者さんがすげぇな
という印象でした。
おあつらえ向きとか言っときながら
死については色々記事にしてるので今更ここで論を展開する気はありません笑
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多くの人はワニさんは明日どう死ぬんだろう?
とドキドキハラハラしたり
実は死ななかったりするんじゃないか
なんて様々な展開を想像してみたりしてたんじゃないかと思います。
偽物も現れたくらいですしね。
そうして世間が注目している中でワニさんに死がおとずれる。
100日目に対して色んな言葉が飛び交っていて
多くの人に学びや気づきを与えた。
本来ならこういう学びや気づきは現実で感じることが多いと思うんですよね。
命をテーマにした映画やドラマって確かに感動はするんですけど
僕は結構「泣けたなー、良い作品だったなー」で止まっちゃいます。
ただ、曾祖母が亡くなった時の告別式では
曾祖母の別れを惜しんでくれる人がこんなにもたくさんいたのか。
自分もそんな最期が迎えられたら良いな。
なんてちょっと勇気と気づきをもらったりしたんですよ。
そう考えるとこれは作品に命が宿ってるな
と個人的には思ったわけです。
上手く言葉にできないのが悔しいのですが
世間からするとワニさんは実在していたということになるんじゃないかと。
何がそう思わせたのか。
僕が思うに100日目までのありふれた日常の99日があったからなんじゃないかと考えました。
映画やドラマはすでに作られた設定があり、作品としてどこか劇的なポイントが必要なので日常的なストーリーであってもフィクションじみて見えてしまいがちです。(※個人的見解です)
それに対してワニさんのストーリーはただひたすらにありふれた日常を
描いていた(全部は見てないのでわからないですが)。
かなり不謹慎ですが、交通事故というのも日常的な死因として考えられます。
だからこそ大きな反響が得られたのではないでしょうか?
ありふれた日常にありふれた死
多くの人がなんとなく共感できてしまうからこそなのかと
僕は思いました。
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でも、価値を提供するってホントに色んな形があるんだなぁ
と考えさせられました。
今の世の中、新しいものが良いもの
という認識が広がっている気がしますが
普遍的なことを思い出させたり
古き良きを思い起こさせたり
新しいものだけに価値があるわけじゃないんだなと。
当たり前として認識されていることって伝えようとすると結構
ハードル高い気がするのですが
あれだけの反響を見ると
そういうのも必要だと受け手の皆も心のどこかで気づいてるんでしょうね。
改めて勉強になりました。
いい作品をありがとうございました。
うじまる
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