「間違いについての記憶」こそ「人間の真の宝」
個々人の有限な生を、どのように普遍的な次元に統合していけばよいのか。あるいは、個別性と共通性をどう紡ぎ合わせていけばよいのか?
現代の生という現場で格闘しながら思索を紡ぎ続けいった偉大な思想のひとりが、ホセ・オルテガ・イ・ガゼットです。
1883年の今日5月9日がオルテガの誕生日です。1955年に亡くなるまで、ふたつの世界大戦とスペイン内戦という動乱期を誠実に生き抜いたその軌跡を深く憧憬するのは、思うに僕一人ではないかと思います。
オルテガといえば、主著『大衆の反逆』がつとに有名ですが、ハイデガーの言葉に倣えば……そして並べることをオルテガ自身は敬遠することは間違いもないのですが、それでもわかりやすさゆえに引証すれば……ハイデガーの言う「das Man」(大事なことを失念してテキトーに生きてしまう人間)としての大衆でもなく、その逆張りとしてのエリートの権威主義でもない「高貴さ」という人間像の開陳は、今なお色褪せるものではないと僕は考えています。
さて、オルテガの現代批判の箴言は、文明の陥穽を突いてやまないのですが、いくつかある要点のなかで、常に心がけなければならないのは次の一節ではないでしょうか。
重要なのは、いつも同じ間違いを犯さないことを可能にしてくれる記憶、つまり間違いについての記憶なのだ。人間の真の宝は、間違いについての記憶、何千年もの間、一滴一滴上澄みを醸成してきた長い生の体験にある。
オルテガ( 佐々木孝訳)『大衆の反逆』岩波文庫、2020年、53頁。
日常生活のなかでも、同じ失敗を繰り返すことはしばしばあり、途方にくれるのがわたしたちの生の実存です。
日常生活から翻って、人類史を参照するならば、戦争や大量殺戮は繰り返され止むことがありません。こうした悲惨を前にすると、ひとは「なぜ、人間は歴史に学ぶことができないのか」という言葉を口にします。
わたしたちの普段の暮らしから国際的な関係世界に至るまで、また時間軸でも過去から現在、現在から未来にかけて、こうした不幸を召喚する「学びの欠如」はなんとかしたいものです。
間違いは犯すのは嫌というのは人情ですし、そのことをごまかしたり、スルーすることもしばしばあります。しかし、それが超克され得ない限り、わたしたちの暮らしの不幸は解決されないのではないでしょうか。
その意味では、オルテガのいう通り、ごまかしたり、スルーするのではなく、あえて「間違いについての記憶」こそ唾棄すべきマイナスと捉えるのではなく、「人間の真の宝」と捉え、真正面から格闘すべきなのではないでしょうか。
朝起きるのがキツイ原因のほとんどは、寝不足だったり、夜ふかしだったりしますが、そこを反省することができれば、失敗のひとつひとつはクリアされ、よりよき生へと昇華されることは必然です。
こう考えてみると、
哲学は人間にとってもっとも身近な学問じゃね?
と思うのは僕一人じゃなければいいんだけどね(笑