見出し画像

「自分のことを大事にしてあげよう」に、「ちっ、うっせーな」となるのでやっぱり自分に適した言葉が必要

最近、「〜しなくてもいいし、〜してもいい」という自分に対する言葉掛けをしている。

不安がもたけでけきたときに、以前はダメだダメだ!考えないように!他のこと考えよう!としていたけれど、そんなの無理で不安自体&その頑張りで疲弊してしまっていた。

で、ある時「いまもたげた不安、考えなくてもいいし、考えてもいい」と自分に言ったら、不安自体は不安なのだけれど、ダメだダメだ!とかに費やす頑張りとそれによる疲弊は少なくともなくなった。

「〜しなくてもいいし、〜してもいい」って結局、自分がその時感じたことを否定せず受け入れ、自分自身にどうするか選んでもらうっていう、すなわちタイトル通り「自分のこと大事にしてあげよう」ってことになると思うんだけど、じゃあ「自分のこと大事にしようよな」と自分に言うと、

「ちっ、うっせーな!」

と悪態ついてしまうのである。
何か気持ち悪いというか、虫唾が走るというか、その辺の言葉に対する自分の反応の理由は今回は置いておいて、とりあえず自分には適していない。拒否感が出てしまう。

結局同じことなのに、一方は自ら赴き、一方は拒否感・嫌悪感。不思議なもんだと思う。

同じように、「自分を癒してあげよう」「自己肯定感を高めよう」「自分の機嫌は自分でとってあげよう」などの言葉も同様にうるせえ!!となるのだが、

たぶん、自分なりにそれらのこと、やっていると思う。河原に行っていろんな石を眺めてうっとりしていたり、絵を描いたり、庭の畑仕事していたり。

自分が納得する言葉、自分に適した言葉にするって大事なんだな。

自分を大事にとか自己肯定感がとか、拒否感出る人少なくないと思う。
それらは確かに大事なものに決まってる。

でも「んなもんできたら苦労はねーわ!」「そういう言葉こっちにとっては毒の光なんだわ!」「んなもん育める状況でこっちは育ってねーんだわ!」(全て個人の感想です)

と、自分とのあまりにかけ離れた(ように思える)世界観を唱えるお題目に更に傷つけられるのである。そら反発もしたなるわな。

そんなわけで、少なくとも私自身は

「お題目は見ないでより具体的な言葉に噛み砕いていくのみ」

が今現在、ふさわしいのだと思う。
この先そうじゃなくなって、お題目もすんなり納得するかもしれないし、しなくてもいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?