ボクが不登校を経験した時の話。乗り越えた先に見えたもの。
こんにちは。こんばんは。うひひです。
今回は、私が中学生時代に不登校を経験した話をしていきたいと思います。
とは言っても、以前、別の記事で途中まで書きましたが、リメイクも兼ねて、全貌を明らかにしていきたいと思います。似たような経験がある方。もしくは今、そのような悩みを抱えている方の参考になれば幸いです。相当長くなりますが、お付き合いください。
↓不登校の馴れ初めを綴った記事↓
おさらいからになりますが、私の不登校期間は、およそ2年間。中学2、3年生のときは全く行っていませんでした。厳密には、中学1年生の1.2学期、2年生の1学期の半分は通いました。
まず不登校の理由から。1つは人間関係のトラブル。もう1つは、不定愁訴と睡眠障害の併発による、身体治療のため。この2つが主な理由となります。1つ目の理由から深堀りしていきましょう。
〜人間関係のトラブル編 パート1〜
私の学年では4クラスあり、1クラスあたり40名程度。男女比5:5。私は4組に派遣されたわけですが、そのクラスがまあ酷い。当時、問題児が8人(男4:女4)いたのですが、6人(男2:女4)が同じクラスに集まります。女4というのが非常に厄介。後に四天王(ポケモンリスペクト)と呼ばれる奴らですが、こいつらが私の中学生活をぶち壊します。
きっかけは些細なこと。当時、私に好意を向けていた女がいました。それも四天王の一角ともあろうお方が。私はそのことを人づてに知りました。ですが、私はそんな敵将(以後、将軍と記載)が大嫌いだったのです。理由は様々ありますが、カースト上位で調子に乗っていたこと。カバみたいな顔面が、生理的に受け付けられなかったことが決定打として推測できます。
その情報を知った私は顔面蒼白。女子80分の1。こいつだけは絶対にないなと思っていた、そのひとりに見事選び抜かれます・・・。どんな確率だよ(笑)
振り返れば、やたらボディータッチ激しかったり、やたら見てきたりと、気持ち悪い点が多かったですね。思い出すだけでも怒りが湧いてきますが、ここから、敵の所業を書き連ねるので、是非お楽しみください(笑)
好意を知ってからというもの、ボディータッチやガン見されたりすることに不快感を抱くようになります。最初の方は無視していました。しかし、反応が面白くなかったのか、敵の行動が日に日にエスカレートしていきます。
そろそろ鬱陶しいな・・・。そう感じてきた時のこと。ある日、突然我慢の意図が切れます。特に何かされたというわけではありませんが、おそらく我慢の限界だったんでしょう。私は敵に離れてもらいたい一心で、暴言を吐きまくります。目が合うたび、パーソナルスペースに入ってくるたび、すれ違うたび、私は暴言のガトリングと化しました。
さすがに堪えたのか、数日は敵の接触が止まりました。歓喜の舞。しかし、祝福ムードも束の間、敵は接触を開始してきます。それも、今までとは違う手法で。
なんと奴ら(複数形)、私に暴言を浴びせてきたのです。まじかよ!私の作戦が完全に裏目に出ました。さすがはスクールカースト最上位層。瞬く間に、周りの女が敵と化します。後で知った話ですが、私と関わりのある女を片っ端からいじめていたそうです。見事に格の違いを見せつけられましたね(テヘペロ)。
引くに引けなくなった私。苦悩の末、四天王との全面戦争に突入することを決意します。とは言っても、私はカースト中の中。もしくは中の下。そんな私についてくる者などおらず、一匹狼で戦います。
本格的に戦争に突入したのが、おそらく10月あたり。そこから、私が不登校になるまで戦争は続きます。
とは言っても、これ続けるのってかなり消耗するんですよね(笑)。メンタルも。体力も。多勢に無勢。圧倒的不利な状況。時代は冬休み前、ついに私は「降参」という選択肢が脳裏をよぎります。「俺が謝れば済む話」そんなことも考えました。しかし、私は続行を選択。なんで俺が謝らないと行けないんだ!と、高過ぎるプライドが破滅に導きます。
日々、精神と体力の消耗との戦い。限界はとっくに超えていたと思います。ですが、そんな状況でも私は、「冬休みが来れば休める・・・。」と考えていました!よっ!日本男児!!
そんなこんなで、来たる冬休み。わずか2週間という短い期間ですが、一時休戦だと思っていました。しかし!予想を上回ってくるのが敵の将軍。なんと、教えてもいないLINEアカウントからメッセージが飛んできます。しかし、名前は奴ではない。そうです。私とLINEでつながっている女友達のスマホを借りて、メッセージを飛ばしてきたのです。
これにはさすがに堪えます。油断していました。しかし、落ち込んでいる暇はありません。すぐに迎撃しなくては。私は思いつく限りの悪口を、スマホに向かって打ち込みます。しばらく不毛なやりとりが続き、相手からの返事がなくなりました。
辛うじて勝利・・・?勝ったはいいものの、奇襲攻撃と攻撃範囲の広さに、戦意喪失気味の私。そんな状態で、第2ラウンドが始まりました。
3学期です。正直きつい。いつになったら終わるんだろう。そんなことばかり考えていました。そんなある日、いつものように支度をしていると、何故か気力が湧かなくなります。
「学校に行きたくない」その時の率直な思いでした。
気持ちがここまでズタボロになると、動けなくなるんですよね。初めて経験しました(笑)。その日はもう支度を済ませていたので、なんとか学校に行きます。しかし、待っているのはいつものような嫌がらせの数々。容赦なかったっす・・・(笑)
翌日。起きるのも苦痛でした。なんとなく体調が悪く、頭痛、腹痛、気怠さ、眠気。そして湧かない気力。「どうしても学校に行きたくない」。しかし、そんなこと親には言えない。当時、私は、学校に行くことは当たり前だと思っていました。親も同じ考えだったと思います。そこで、私は必殺技を使います。それは、仮病。この技は上手く決まり、その日は束の間の休日を獲得します。しかし、それは気休め程度。2度使える手ではありません。嫌でも時間は過ぎ去ります。
また翌日。やはり学校に行きたくない。朝に滅法強い私は、遅刻をしたことがありませんでした。しかし、親は、なかなか準備を始めない私の様子を見て、理由を聞いてきます。隠し通せないと直感で思った私は、「学校に行きたくない」とだけ伝えます。理由は伏せました。聞かれても、黙秘を貫きます。まるで容疑者になった気分♪冗談はさておき、理由も言わず、学校に行きたくないという主張は却下され、遅刻ながらも車で送ってもらいました。
初めての遅刻。教室の異様な雰囲気。それもそのはず。なぜなら、この2ヶ月前くらいに、別のグループにいじめられていた人が、学校に来なくなったからです。つまり、私は次の不登校候補生★やったね!
チクられたら面倒臭いと思ったのか、その日は嫌がらせはしてこなかったです(笑)。何事もなく帰宅。しかし、また明日も、明後日も、2年後も同じ学校に通わないといけない。終わりの見えない道に、呆然と立ち尽くす私。
翌日。またもや具合が悪い。眠りも浅い。死んでしまいたいとすら思っていました。やはり進まない支度。なぜか涙が出てきました。親に声をかけられるも、返事をする余裕はなく。ただひたすら泣いていました。ただ事ではないと判断した親は、1週間の猶予を来れました。とりあえずよかった。心からそう思いました。
〜不定愁訴と睡眠障害の併発編〜
一旦話を挟みます。流れがおかしくなるので。
みなさんアレルギーはお持ちですか?私は、運動誘発生アナフィラキシーショックという、珍しいアレルギーを持っています。運動誘発生アナフィラキシーショックとは、食後に激しい運動をするとアレルギー反応が出てくるものです。原因は今でもわかっていませんが、それを調べるために、大きい病院に通っていた時があります。
奇跡というべきか、血液検査の結果が、1週間の猶予期間と重なったのです。私は母と一緒に病院へ行き、話を聞きに行きます。いざ診察室へ。先生の話は難しすぎて、何言ってるかわかりません。一通り、話を聞き、診察室うを出ようとすると、母が「あんた霜焼け見てもらったら?」と一言。
当時の私ですが、足の霜焼が酷く、冬になると全部の指が霜焼けになるレベルでした。確かに、辛かったので、見てもらうことに。
私の足を見て、主治医の先生はこう言います。「これは相当ひどいね。血行悪い?健康な生活送ってる?」おそらく、相当顔色が悪かったのでしょうか。主治医の先生は私の顔を見て、「夜眠れてる?」と一言。
その質問に、私は首を横に振ります。当時は全然眠れていませんでした。また、生まれつき寝つきがとても悪く、その時は特に酷かった。加えて、寝ついても、夜中に目が覚め、朝起きるとめちゃくちゃ身体がだるい。しっかり8時間は寝ているはずなのに、寝不足の怠さ。これらの症状を先生に伝えます。
すると、大急ぎでレントゲンを撮りに行かされました。予定外の診断です。しかし、レントゲンを見て、一同は驚愕します。
なんと、背骨がグンニャグニャに曲がっており、腸には大量の便が。一連の説明が終わった後、「他になんか身体で辛いことない?」と聞かれ、頭痛、腹痛、慢性的な怠さ、などの症状を伝えました。
すると、先生は「不定愁訴」という診断を下します。不定愁訴とは、「頭痛」、「疲労感が取れない」、「イライラする」など、なんとなく具合が悪いという症状が出る病気で、自律神経の乱れが大きく影響する病気と言われています。この「不定愁訴」ですが、客観的所見が難しく、発見しにくい病気らしいです。
また、後日、検査入院の旨を伝えられました。眠っている時の脳波を測定し、正常かどうかを知らべるとのこと。いざ検査入院をし、頭に訳のわからないミミズのような導線を付けられます。こんな環境で眠れるか!!内心そう思っていました。無事、観測が終わり、結果発表。ここで、「睡眠障害」と診断されます。睡眠障害とは、簡単に説明すると、身体は寝ているけど、脳が活発に動いている状態のこと。つまり、どれだけ寝ていても、身体は徹夜状態だよ✌️ということです。
ここで、「不定愁訴」と「睡眠障害」が確定。母親が先生に質問する「学校ってどうすればいいですか?」。その質問に対し、「これじゃあきついよ」と先生。内心ガッツポーズの私。不登校の理由としては、これ以上ない代物。合法的に休める(ニッコリ)。しかし、勝者気分の私に、試練が待っていた。
浣腸だ。自然排泄ではムリなくらい入ってたらしい。これが死ぬほど嫌だった。毎朝、起きてすぐに浣腸。あの燃えるような痛さは、経験した人にしかわからないだろう。
また、睡眠障害はというと、投薬治療で様子を見ようとのこと。薬を飲んでからというもの、睡眠の質はだいぶ改善されました。めでたしめでたし。
〜人間関係のトラブル編 パート2〜
場面が切り替わって、今度は例のアイツです。時代は2月。おぞましいバレンタインの季節です。しばらく何もなかったので、完全に油断していました・・・。なんとバレンタイン当日。我が家のポストにチョコが入っていたのです。もちろん、私宛。しかも最悪なことに、親が持ってきたのです(笑)。全てを察した私は、怒り狂いながらゴミ捨て場に直行。ゴミボックスに向かって、全力投球。火の玉ストレート!!🔥
その後、一件のLINEが。それは将軍の手先から。「◯◯(将軍の名前)のチョコどうした?」。すかさず「捨てた。」と即答。その後は何事もなく、月日は流れる。
そして、2年生までは治療ということで、2年生から学校復帰を目指します。身体が治れば学校にもいけるだろう。と、考えていました。しかし、現実はそんなに甘くない・・・(笑)。
いざ、復帰登校初日!これがまた死ぬほど行きたくねえんだわ(笑)。しかし、クラス替えもあり、前ほど荒れたクラスではなくなりました。もちろん、将軍とも別のクラスになりました。学校に行かない間、親は中学に何回か行っていたので、多分そこで話をしていたんだと思います。
2年生から復帰とは行っても、最初から全コマ出るのはきついので、特例措置として、遅刻早退自由という特権を手に入れます。また、2年生になり、もう不毛な争いはやめよう。とも思っていました。しかし、将軍は確実に息の根を止めてきました。
わざわざ私のクラスに来てまで、暴言を吐きにくるのです。もうやってらんねえよ!!2年生復帰は、特例措置がありながらも、1ヶ月で断念。こうして、私の中学生活の大半は、家で過ごすことになります。さすがに、親も学校に行けとは言わなくなります(笑)
家での生活は快適でした。ゲーム三昧。当時はPS3にハマっており、アンチャーテッド2をやりこんでいました。相当上手かったと思います。
そんなこんなで月日は流れます。そんなある日、再びLINEが飛んできます・・・。今度は本人から。誰かから私のアカウントを聞き出したみたいです。そこでのやりとりで、衝撃的なことを言い出します!
なんと、本気の告白でした。どの面下げて言ってんだって思いましたね。もちろん、即答で「ノー」。この時もマジでしつこかったです。断っているのに、3回くらい告白されました。今思い出しても、本当に気持ち悪い。最終的には、拗ねて消えました(笑)。何しても気持ち悪いです(笑)。そこからは何もなかったです。多分、本気で無理だと感じ取ったんでしょう。いや遅えよ(笑)。
そして、私は中学の2年間を通わずに、中学校を卒業しました。もちろん、卒業式も行きません。しかし、卒業証書は受け取らないといけないので、校長室にて1人で卒業式をあげました。制服も嫌いだったので、私服で行きました(笑)。つよい(笑)。
ちなみに、進学先は通信制の高校です。こんな感じで、私の中学生活は幕を閉じました。
〜不登校経験から学んだこと〜
まあ、ある意味、誰もが通らないような人生を送れて、よかったと思っています。全員が経験しないからこそ価値がある。もちろん、勉強の遅れは取り返さなければなりません。ですが、現在4年生大学に難なく通えています。つまり、人生なんて、自分次第でどうにでもなる。ということを私の人生が証明しました。誰だって立ち止まりますし、進んだ結果、失敗することもあるでしょう。しかし、成功するにせよ、失敗するにせよ、時間を戻すことはできないのが人生です。そんな人生を悔いのないように生きよう。そんなことを学ぶいい機会になりました。どうしても辛いようなら逃げましょう。逃げた先で、また頑張ればいいのです。逃げてもなんとかなります。若いうちは特に。
すごく長い記事になってしまいました。ここまで読んで下さって本当にありがとうございました。もし、面白いな〜と思ったらフォローの方よろしくお願い致します。それではまたお会いしましょう!