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別に手帳なんて書かなくたって生きていけるけどさ
こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。
気づけばもう7月になりました。2023年の後半がはじまった〜!めでたい〜!(何が)
月初になると、ほぼ毎月必ずよせぴー(旦那)と「7月だよ!おめでと〜」と言い合います。
この謎の「おめでとう文化」は自分から生み出した割に、正直何がおめでとうなのかよくわからないなぁとも思うけども
毎日が誰かの誕生日なのだと思うとそんな毎月の始まりの日くらい、知らない誰かへの「おめでとう」があっても良いのではないかと思える。(浅いような深いような話)
そんな7月のスタートですが、ちらっと6月を振り返ってみると、まぁ怒涛の1ヶ月でした。(怒涛の〜ってなんかぶんぷん怒ってる感じがしてあんまり好まないから明日から使うのやーめよ) (怒涛というより楽涛だったもん)(なら今から使うのやめたらどう)
手帳のオンラインイベントを開催したり、韓国の知人友人が日本に来てくれたり、ライブへ行ったり、実家に帰ったり、新しい出逢いがあったり、まぁよくもそんなにあちこち出かけてられるねぇという1ヶ月でした。
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7月になった瞬間に、iPhoneの「フィットネス」アプリからこんな通知がきまして褒めてもらいました。なんかありがとね。
なんかLINEの返信みたいに「1か月で11回もしたのですか?」とか疑問系で会話進めてくるあたり人格感じられすぎて面白い。
ただ人格がありすぎて、普通に歩数が少ない日とかは「明日は達成できますよね?」みたいな圧かけてくるあたりちょっと友達にはなりたくない。
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たくさん予定を詰めたおかげで手帳を書く時間はあまり確保していなかったので、後半結構ストレスが溜まっていた部分もありました。
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書いてる日は書いてたけど、1日1日を味わい尽くしきれてない感じ。まだまだ日々を愛でられそう。過去を未来へ繋げられそう。
楽しみとしてとっておく。
そもそも、「手帳なんて書かなくたって全然生きていけるよなぁ〜」というのは、常々思います。(手帳めくリエーターらしからぬ発言)
ものすごく深堀すれば、手帳は私にとってはもはや生きることそのものなので、一切手帳を書かないという選択をした場合の未来について想像すると
たぶん今の幸福感や充実感が格段に減って、場合によっては日々を生きる選択をしない事もあるのかもしれないけれど(すごい回りくどい文章)
普通の人(普通の人とは)からしたら、全然書かなくたって生きていけるし、手帳を書かずに生きている人はたくさんいます。よね。
自分の内面と向き合うとか、日々の記録をするとか、やりたいことを探すとか、ある人々にとってはものすごく高度なことだし、別にしなくてもいい。
自分のことを知る必要もないし、過去の出来事を愛でる必要もないし、やりたいことをしていなくたってご飯を食べて寝てなどの衣食住があれば、生きられる。
だから「手帳書かなきゃ」とか「あ〜最近書けてないなぁ」とかは思わなくて全然良い。(書いてないなぁ、は事実の認識として言うことある)
それが今日を、今週を、今月を生きるための必要な選択だったのだよ、と思う。
手帳を書くことと発信っぽいこと
ちょっと前まで私は「手帳を書くことの良さをもっと伝えたい!!!」みたいな気持ちがどこかに強くあると信じていて
だから手帳のZINEを作ったりInstagramに手帳の写真を載せたりしているのだと思っていたけど
実は「伝えたい!」という欲求は、そこまで強くないのかもしれない。
「とにかく楽しいよ、面白いよ、人生わくわくしちゃうよ!?!?ほら、見てみる?!」という気持ちはとてもあるけど
一方で、「これを見ているあなたの手帳生活がどうなろうと、別に私の手帳生活は楽しいままなので、知ったこっちゃない!!」みたいな気持ちもある。(文面だとすごい嫌なやつじゃん)(なんかごめんよ)(読んでくれている方はこれも愛として受け取ってくれると信じている)
これを見てくれているあなたのために、手帳を書いています!なんてことを全然思っていないからこそ、こういう発信っぽいことが続くのだと思う。
でもでも、こういう発信っぽいことが、見てくれている方々の手帳生活のヒントになる要素はどこかにあると思っているから、続けられるのだとも思う。
だから、読んで下さる方がいないと成り立たない世界だということは絶対に忘れてはいけない。忘れた瞬間、砂漠に独りぼっち、みたいな現実になると思ってる。
いつもこっそり読む派の方も、いいねやコメントを下さる方も、ありがとうございます。
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別に手帳なんて書かなくたって生きていけるけど、そうっちゃそうだけど、私は書きます。書きたいから書きます。
そんな、当たり前なようで忘れちゃいがちなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!