一冊の手帳を大切に愛でることの楽しさを語る
こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。
なんか、冬来てるね!!秋だ〜って思って、何なら「あれ、夏かな?」くらいにポカポカの日々が来たと思ったらはい冬〜!みたいな。
そりゃ身体もびっくりするよねぇ。
冬は寒いけど、そんな冬のいいところを探してみたらたっくさんあるのでそんな事を手帳に書いてみても面白いのだろうなぁ。
「ホットコーヒーが冷えた身体にしみて美味しく感じる」とかね!!(珈琲が好きな訳ではないけど珈琲を飲めるようになったことが嬉しい)
今回は、年末だからこそ思う「あ〜ほぼ日手帳カズン今年もたっぷり使った。ありがとう!」みたいな気持ちのnoteです。
いろんな種類の手帳を使うのもすっごい楽しそうだし憧れるし、いろんな手帳を試すのも面白そうだし、その人にはその人なりの手帳文化があっていいと思っているので
沢山手帳を使う文化を持っている方にはその人の楽しさがあって、1冊にまとめる人にはその人の楽しさがあって
「あ、それもいいですね」「あ〜そんな使い方もあるんですね!」みたいな情報を気軽に交換できるこの現代、なんてありがたい時代なのだろう笑
ということで、私の手帳への想いはこちらです!!(似たようなこと何度も紹介してるけどまぁいいか)
手帳の成長が自分の成長
先日、やっとこさ2024年の手帳を購入しました。ほぼ日手帳カズン。
カバーは今使っているものをそのまま使うので、2024年は本体だけを買いました。
この「本体」という呼び方、たまに「リフィル」とか「中身」とか呼ぶ方もいるのですが、私は頑なに「本体」という公式的な呼び方をしています!!頑なに!!笑
リフィルというとなんか「取り替え可能感」があるけれど、本体というと「君じゃなきゃダメなんだよ感」があるからです。(物は言いよう)
そして心から「君じゃなきゃダメなんだよ」と思っているので、そう呼んでます。(何の話?)
カメラロールを見ていたら、今年の春頃に撮った手帳の写真が出てきたの。薄くてびっくりした。ころんとしててかわいい。
でも、どんどん言葉や感情や思い出が詰まって詰まって、今はこんな感じです。
厚くしたいという欲求があってそうしている訳ではないんだけど、紙ものを貼るとどうしてもこうなってくるのだよ〜、、、
ペラペラしていくと、「あ〜成長したな私」とか「考え方変わったなぁ」っていう言葉に沢山気づけて、手帳の成長が自分の成長として重なって、ほかほかします。
他人からしてみれば「え、そんなことが!?」みたいな小さな成長の話をしているので、例えば
・怒るようなことじゃないのに感情的になって怒っちゃった
→今は自分に共感してなだめられるようになった
とか
・腹筋をする時に首に力が入ってしまって正しい姿勢でいられなかった
→今は力を抜く方法、意識を身につけられた
とか、そういう「心の成長」とか「意識の成長」みたいなこと。
自分が自分の成長を客観的に気づけて、認識できるようになったのは、手帳を習慣化したおかげだなぁと思います。
こういうことの積み重ねが「手帳で人生変わった」に繋がるんだと思う。
でも、手帳の成長(文字を書いてふかふかしたり、厚みが増して大きくなっていること)があっても、もし書いていることの質が違ったら、自分の成長として重ねることはできてなかったとも思う。
今年を振り返ってしみじみ
今使っている手帳は1月始まりなので、手帳さえあればいつでもどこでも今年の思い出を振り返ることができます。
電車でのスキマ時間とか、出掛けた時とか、書く気持ちがあんまりない時とかは手帳を読んで、学びを復習したりね。家でも。
そこには思い出や、周りの人の言葉、自分の言葉、素敵な考え、美味しかった食べ物、良い出会いなど、さまざまな「好き」が詰まっていて、それらがいつもそばにいてくれるのがとても心地よい。
もちろん「なんか嫌だな」という出来事もたまにあるけど、「なんか嫌だな」という感情にケリをつける(?)術を身につけてからは
むしろ読み返すと「はぁ〜こんなこともあったね、よく切り返したな」など褒めモードに自分をもっていくこともできるので、読み返すのは面白い。(ここまでの道のりは長かった&できない時ももちろんある)
もし手帳に書くような楽しい出来事がないのであれば自分で作れば良いし、毎日家にいて出かける暇がないのであれば頭の中で旅に出れば良いし、自分の「好き」がわからないのであればそれを探すために手帳を使えば良いし
本当に使い方によって大きく考え方を良くも悪くも導いてくれる存在だなぁと思ったりね。(まぁ現実的な表現をすれば導いてるのは自分なんだけども)
さっき貼ったこのお写真の右上の「梅の花びら占い。
この日の前日に父が脳出血で倒れて、平然を装いながらも泣いたり後悔したり様々な不安が出たり引っ込んだりしている時で
でもそんな時にこのエビせんでハッピーを見つけて、「いかに小さなハッピーを見つけ出せるかが今この気持ちを乗り越えられるかどうかと繋がってそう」と思ったことを、ペラペラして思い出したり。
この出来事から本当に様々なことを学んだ2023年でした。(これ書きながら手帳読み進めていろいろ思った笑)(じーーーん)
世の中の笑顔でいる方々は、笑顔でいるような出来事だけ起きてるから笑顔なんじゃなくて、まぁいろいろあるけど笑顔でいることを選択しているだけなんだなってやっと気づいて
だったら私も極力笑ってよ、と思えたり。
愛情が一冊集中
ひゃ〜、なんかしっとりモードの自分になってしまった!!!笑 手帳のお話に戻します。
具体的に毎日どういう感じで手帳を書いているのかを語るnoteではないのであれですが、1冊の手帳にすべてを書く!という方法をとっていると
「これさえ読めばOK」という状態になります。
・あれどこに書いたっけ
・あ〜これここに書くことじゃなかった
みたいなことは起きないし、愛情も一冊集中型になります。
かと言って複数手帳を持つ時に「一冊に対する愛情がその分減る」と言いたい訳ではないんだけど、私はそこまで器用ではないので、何冊か使っていると明らかに愛情のかけ方(=使う頻度、読み返す頻度、触る頻度)にバラつきが出る。
そして年末になるとそのサブ手帳たちはあまり使わなくなって、結局ほぼ日手帳カズンに戻ります。
だったらこれ一冊でいいよね?という気持ちになる。
カズンが私の性格と相性が良いことと、世界観が好きなことと、カズンが毎年一冊ずつ増えていくわくわくから離れたくないのと、いろいろな理由から、「ならこれがいい」となる。
これ、何年まで保管しておけば良いんだろう?とか、いつまで続けるんだろう?とかもたまーに思うけど
書きたいことがたくさんあって、書ける指があって、書く時間を確保できるうちは、書くんだろうなぁ。
誰に何と言われようと、誰かに何も言われなくても、私が手帳を書くことを「はぁ楽し…」と思えているうちは、きっと書く!!!
もしこうして公の場所で手帳のお話をしなくなっても、誰かに見せる文化がなくなっても、さっき書いた条件が揃っているうちは、きっと書く!!!
死ぬまで一冊の手帳を使い続けて、いつか死んでから美術館とかで私の歴史資料として展示するのが夢です。(夢の規模でかすぎんか)
そのためには、私が「この人の考え方や感情をのぞいてみたい」と思ってもらえるような人になる必要があるので、先は長いぞ〜!!!笑
最後話の質が変わってしまいましたが、とにかく手帳を愛でることはとても良い趣味です。(最後のまとめ急に薄味すぎんか)
そんなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!