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人の内面を知ろうとすることを続けると、人生の満足度が上がる
こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。
夜になると、noteを書きたくなるねぇ。日中は割と思考が優位になりがちだけれど、夜は感覚優位になる感覚。(若干の「頭痛が痛い」み)
てことは私はnoteを感覚で書いているんだね!!!という感覚があるね。(畳み掛ける)
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私は、日頃から人の個性?内面?性格?人柄?に注目するのが大好きです。
言葉や行動から主観的に個性を読み取ったり、生まれ持った個性を色で表現した個性のコンテンツ「ピーチスノウ」的に考察したり、内面について語り合うのも好き。
流行りのMBTIや各種占いについて少しかじってみたり、ピーチスノウでの5160通りの個性を学ぶ中で、「人を分類してしまうのではないか」「決めつけてしまうのではないか」という恐れが昔はややあったんだけど
いろいろ学んでみた上で、むしろ逆なのだと気づきました。内面は目に見えないからこそ、シンプルじゃないからこそ、「こういう面もあるね」「こういう時はこうなるのかもね」と推測したり仮定してみる。
人にもいろんな面があって、自分にもいろんな面があって、違うから面白い。違っていいんだ〜!いろんな自分がいていいんだ〜!と腑に落ちると、コミュニケーションが怖くなくなったりするものです。
今日は、そういう人の内面をみる習慣を続けていたらだんだんこうなってきたな〜!みたいなお話をしてみます。
①人や自分にちょっと優しくなれる気がする
私はずっと「優しくなりたい」と思っていた節がありました。(愛なき時代にっ う〜まれたわけじゃなあいっ)(斉藤和義)
優しくなりたい=自分は優しくないと思っている、てことになります。〇〇になりたいと思う=今はそうじゃないってことだから。
でも、優しくなろうと思ってなるのって、めっちゃくちゃ難しいの。方法が全然わからないから。そもそも「優しい」という言葉自体がものすごく抽象的で、主観的だよね。
例えば誰かが傷ついて泣いているとき、
Aさん:そっと声をかけて慰める人
Bさん:あえて声をかけずにそっとしておく人
という2人がいたとき、Aを優しさと思うかBを優しさと思うかは、人や状況によって違います。こういう「人によりけり」系のやつが一番むずい。
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だから、一旦自分が優しくなるにはとかは置いといて、人がどういう時に「この人優しいな」と感じやすいのかを観察してみたり、「これはこの方の優しさなのかも」みたいな視点で人間を見てみることにしました。
私の場合は、個性を5160通りで分類したコンテンツの「ピーチスノウ」をベースに読みとれる材料をもっていたので
・個性によってどう優しさの質が違うのか
・とある状況下でどちらの人がより優しいと感じるか質問する
・周りの優しい人のエピソードを聞いてみる
みたいなところをピーチスノウスクールで確認したり、手帳に集めていきました。
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そういう体験を重ねていくと、人の優しさに沢山気づけるようになります。
人って面白いよね、「これも優しさかぁ!」って気づくと、たくさん見えるようになるの。今までも身の回りに沢山あったんだろうけど、気づいてなかっただけみたい。
例えば、この前お散歩をしていたら、道の手すりみたいなところに誰かが落とした手袋があってピースしていることに気がつきました。
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これ、誰かの優しさだよね。
この状態で落とすわけないから、これはきっと誰かが落とした手袋を優しい誰かが拾ってくれて、見つかりやすいところに付けてくれたんだよね。
もしかしたらすぐ取りに来るかもしれないから、届けるのではなく、あえて近くに目立つように。
これを見た瞬間、顔も名前も知らない誰かの優しさを感じて、心があたたかくなりました。(じわ〜)
そうやって、人の優しさに昔よりは気づけるようになっている今、たぶん少しだけ人に優しくなれてるんじゃないかなぁと思う。私なりの優しさの質で。
人によって優しさが違うからこそ、誰かの言動を「彼なりの優しさなのかもしれない」と想像することが、私の優しさになっているのだね。(ふかっ)
②心と身体が健康になった
健康とか体調って割とデリケートな話題だと思うので、健康アピールとも受け取れることをすると、今体調を崩してる方々がいた場合どう届くのだろう?と塩ひとつまみ分の心配はあるけれど
あくまで私の、私なりの解釈として思っていることを書いてみると。
「心と言動が大きくズレる」状態を続けていると、体調が崩れて「それやめた方が良いかも」って教えてくれるんじゃないかなぁと思ってます。
昔小売店で働いていたとき、シーズン商品の売り場入れ替えをすることが多くて、数日に一度くらい売り場のレイアウトを変えていました。
そのレイアウト変更の中でも、割と大規模な入れ替えとなると、什器を確保しておいたりレイアウトイメージを練っておかないと、かなり時間がかかります。
なので準備をして、計画をして、誰にどの作業を割り振って〜みたいなことを全部仕切る必要があるの。めちゃくちゃドキドキするやつ。
そして、その準備を済ませた売り場入れ替えの当日、出勤しようと思ったらお腹が痛すぎて歩けなくなったことがありました。
胃腸に激痛がきて、動こうにも動けん。這ってでも行かなきゃいけない日、1時間の出勤を這って行くと何時間もかかるので、泣く泣くお店に電話して代理でみんなにやってもらいました。(普通に胃腸炎だった、人生初の胃腸炎デビュー笑)
この時、「よかった」とちょっとホッとした自分もいました。
「胃腸炎になった」という事実がなければ、休むに休めないと思い込んでいて。誰かに相談することも難しくて、「本当は誰かを頼りたい」という本音を隠して、一人で仕切らなきゃいけないと思い込んでやってました。
だから身体が空気読んで「胃腸炎になってあげるから休めば?」って言ってくれてたんだと思います。(ほんとかよぉ)
実際仕事で「自分じゃなきゃダメだ!」と思うことって、だいたい他の人でもできます。というかその人にしかできない仕事が存在すること自体、組織の在り方として危うい。
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このお話で何が言いたいかと言うと、自分の内面をみる習慣をもっておくと、「自分の本音」とやらにいち早く気づけるようになるのでは?ということです。
「入れ替え一人で仕切るのプレッシャーすぎるから誰かを頼りたい」という本音に気づいて、誰かに相談したりできていれば、数年前の自分も胃腸炎にならなかったかもしれない。
そういう「本音」に蓋をせず、〇〇しなきゃ!と思い込まず、ちゃんと記録したり言葉にして、かつコミュニケーションに繋げていけることが増えた今、めったに体調を崩さなくなりました。
こんな毎日出かけたり予定入れまくって、電車で手帳書いて、なんで体調崩れんの!?と自分でも不思議になるくらい。
「やらねばならないこと」を「やりたいこと」に変換したり、手放したりできるようになったことも大きいけれど。
あと体調が崩れそうになると、音がします。
ピキッとか、メリッとか、そういう音がします。(あくまで比喩よ比喩)(骨折れとる音っぽくてこわみ笑)
で、「まだ風邪引いてないけど薬のんどこ」とか「とりあえずお風呂入っとこ」とか「今日はマグロ食べた方が良いな」とか、そういう謎の直感が来て、体調崩れそうになることから守ってくれる。
それが合ってるかは知りません。どっちでもいい。ただ、それに乗っかることで結果的に救われてるっぽくなる思い込み。
自分を苦しめる思い込みはやめて、幸せな思い込みをした方が良いよね。
自分の心を知る。個性のコンテンツで自分の性質を知って、1日5分でも良いから気持ちを手帳に書き出して、「私ってこう思ってるんだ」を自分に教えてあげる。
私はこれをピーチスノウを教えてくれた先生方や、ほぼ日手帳のおかげで、できるようになりました。一人じゃ絶対無理。
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だからこそ、体調不良のループにいる人は、ほんっとに一人で抱え込まずに誰かに言ってみてほしい。言わないとわかってあげられないけど、言ってくれればわかってあげられるのが人です。
自分自身に本音を言えなかったり、何が本音かわからない人は、私に引き出させてほしいとさえ思います。私、引き出せる。(突然のロボットみ)
あなたは一人じゃないからね!!!
③人生の満足度が上がる
↑え、これ私が書いてる???ほんと??
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いや〜、私がこんなことを言えるようになるなんて。びっくりだわ。
昔、職場の上司から「がーすーは、満足を知らないね」と言われました。(がーすー=当時のあだ名ね照)(上を目指す人だねという意味で言ってくれてた)
当時、褒められてもなっかなか現状に満足しなくて、「いえ、自分なんてまだまだなので!!」みたいなことをよく言ってました。(もちろんこれはこれで良いんだよ)
満足する、足る、満ちる。コップがいっぱいになってる感じ。だから、満ちちゃうとさ、コップからこぼれちゃうのよ。
こぼしたくないの。無駄にしたくないの。時間を、お金を、気持ちを、エネルギーを。
って思っていた。今もやや、ある。コップからこぼれても、無駄になんてならないんだけどね!
でも、「満たされている」感覚を持たない選択は、苦しいんだ!!!
何をしても「満たされている」という感覚がないと、別の何かで埋めようとしたり、欲しがり続けたり、心が枯渇していく。
楽しいんだけど、なんか足りない。
嬉しいっちゃ嬉しいけど、喜びを感じない。
幸せっちゃ幸せだけど、なんかうかない顔。
飲んでも飲んでも喉渇く。他人のコップの中身をのぞいて、自分のコップが一杯になってないことから目を背ける理由をつくる。
コップに穴空いてるんだよねきっと。
私は2015年からほぼ日手帳に記録をするようになり、2020年からピーチスノウで自己分析をする習慣をもちました。
この2つを通して自分の内面、周りの人の内面、発言、行動、いろいろ見るスキルが自然についたことで、コップの穴からこぼれおちた想いを、もう一つのコップがすくってくれるようになりました。
私は何をしてる時楽しくて、どう生きたいんだろう
何をしたくなくて、どういう価値観を受け付けられないんだろう
そういう細か〜い想いを、受け止めることが楽しい。
「わかるなぁ」は、嬉しい。
「全然違うじゃん」は、面白い。
「なんだこいつ」は、興味深い。
完璧な人はいないので、もちろん「人の内面とかどうでもいいからとりあえず黙ってくれ」とか思うこともまぁあるけど、笑(このゆるさが大事)
人のコップをみて自分のコップの中身と比較して恨んだり妬んだりするんじゃなくて、ちょっと私のコップの中身、味見してみる?みたいなコミュニケーションができるようになる。(詩でも書いとるんか)(飲み物だったんか)
それが、人の内面をみようという姿勢によって、できるようになったのがびっくり。
ただ楽しそう!と思ってはじめたほぼ日手帳
ただ面白そう!と思って学んだピーチスノウ
最初は人の内面を知ることが人生を潤わせてくれるイメージが全然わかなかったけど、自分がこれらを人生の時間を使って体験してきたからこそ、このイメージをより様々な方法で伝えて
人の内面を知ろうとする習慣を一緒に楽しめる人を増やしたいな〜〜〜って思ってます。
なんで増やしたいかっていうと、誰かの役に立つことが自分の喜びになるってわかってるから。
人の役に立つことは、自分の役に立つことだから、ありがとうを巡らせて、美味しい世界をみたいの。そのためにはまず自分が美味しくなる必要があるからね。(ついに食べ物になった)
そんなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!!