「感じる」ことに意味があると思うの
こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。
みなさんいかがお過ごしですか!!ご飯、ちゃんと食べてますか?眠れてますか?休めてますか!!!(なになに急に)
最近ね、まぁ最近に限ったことでもないけど、ほんっと健康って大切だよねって思うの。ご飯が食べられることとか、眠れることとか、休みたい時に休めることとかって
当たり前じゃ!みたいな顔して生きちゃうけど、全然当たり前じゃなくてありがたいことだよね〜って思います。
生かされてるよね〜私たち。(まって何の話?)
なんでこんなモードになってるのかと言うと、スケジュールがみちみちだった日々に一区切りついて、ほっと力を抜いてる数日だからです。
春先から小さな目標達成のために人生走り続けていて、そんな中年末に控えた結婚式の準備をしながら韓国へ行ってウェディング写真撮影をしたり、泳げないのにダイビングに挑戦したり、広島でピーチスノウというコンテンツのイベントに参加したりと
んまぁスケジュールみちみちすぎました。手帳使っててもスケジュール管理下手なのは変わらぬ。(なぜならば管理なんてできないから)(この話すると長くなるからやめよ)
そんな日々の中感じた気づきを、今日はお話したいと思います。
集中状態と瞑想状態
数年前からホットヨガをしていて、土曜日は仕事が入らなければ毎週同じ先生のヨガに通っています。
この時間で時たま「集中状態と瞑想状態」というお話が出てきて、これが日常にも活きてきている感覚があります、最近。
集中状態ってのは一つの音に集中している状態のことで、瞑想状態ってのは全ての音を受け入れている状態〜みたいなお話で。
どっちが良くてどっちが悪いとかではなく、自分が今どういう状態にあるのか知る手段として、目を瞑り音に寄り添ってみる感覚というかね。
もちろんこの意識は主にヨガの時間で取り入れてる考え方ではあるんだけど、日常でもこの2つのバランスをとっていけるようになるのかも?と思ったのでした。
私は言葉と意識の繋がりを探るのが好きなので、自分が「うっ」ってなる言葉は使わないようにしようと数年前決めました。(覚えとらんけど数年前に決めたことにしようと今決めた笑)
その中で、「忙しい」はあんまり使わないように
しています。昔は忙しくないのに忙しいぶることがカッコ良いと勘違いしていたけど、今は考えが変わったので
「パタパタしてる」「みちみち」「濃い日々を送っている」「めまぐるしい」とか何でも良いけど違う表現をしています。(一番好きなのはパタパタ)
「忙しい」って「心が亡くなる」と書くからなんか好かんのもあるし、さっき書いた「集中状態と瞑想状態」の話で言うと、たぶん集中状態の方に近いと思うのです。
目の前の物事に集中していてそれだけに注力してるからこそ、ご飯何食べたとかどんな話をしたとかあんまり覚えてなかったりとか。
一点集中してるからこそ、周りのことが見えないみたいなね。余計な情報遮断してるというか。
もちろんこれが必要な時もあります。アスリートとかスポーツ選手とか、ここぞって時に集中力を高める必要がある場面は特に。
韓国でウェディング撮影をした時、まさにこの集中状態でした。ほんっとに何が何だかわからないまま撮影してたし、周りの風景とか細かい情景を全然覚えてない。
カメラの前で自然な笑みを作ることの難しさを感じたし、「表情」って自分が思ってる以上に表面化してないというか、自分が笑ってるって思う顔の2倍は笑っとかないと人は笑ってるって判断しないのかもな〜とか。
自分の表情への気づきとか、結構勉強になって楽しかったし、何よりもかわいいドレス着せてもらってるんるんでした。うひひ。
そんな韓国から帰国した翌日、人生初のダイビングの練習が待ってました。緊張しすぎて本当に行きたくなかった笑(じゃあなぜやった)
飛行機からの仕事からのダイビングって体力どうなっとるん?と自分の身体に話しかけたら、「わしが聞きたいわ」と言われました。ごめんよ。(身体に別人格あるらしい)
私、全く泳げないのです。
陸のスポーツはまだ何とかなるんだけど、学生時代プールの授業のせいで成績表が5から2に下がるくらい泳げなかったし、泳ぐ気もなかったし、そもそも泳げなくても生きていけます。(それはみんな知っとる)
そんな私が!!!
よせぴー(夫)の「はるかとダイビングしたい」というピュアな心に触発されて(?)数年ぶりにプールに入りました。行く前、だるみがやばすぎて目が死んでた。(まさに死んだ魚の目)(死んだ魚からクレーム入りそう)
メンタル的な「水が怖い」という思い込みが強すぎて、顔に水つけるまでダチョウ倶楽部のおすなよおすなよ〜のノリを何回も繰り返しすぎてげんなりしそうになりながら、ついに3メートル潜るところまでいけました。(ヤーーー!)
ここでパニックになる人もいるらしいんだけど、水中でパニックになるって何のメリットがあるんだろう?という鬼現実的な自分がいてくれたおかげで、かなり冷静に練習できました。
そもそもダイビングは機材をつけるので泳げなくてもできるし、健康な身体と知識と楽しむ心と冷静さがあれば誰にでもできるのだと悟ったよね。
この時もまさに集中状態で、呼吸の長さとか質とかそういう細かいところに集中して、「水怖い」という思い込みを抜け出しました。成長。
自分の中の幼いはるちゃんに「よく頑張ったね!」とムツゴロウさん並みのよしよしをしてあげました。めっちゃ喜んでた。
やっぱり何歳になっても、できなかったことができるようになるのって嬉しいよね。
パタパタと過ぎ去る日々、集中状態だった自分からの気づきを書き留めることによって、「あぁ〇〇だったね」と感じられているのかもしれない。
感情が追いついてくるまで
ダイビングの次は、広島での大イベント!ピーチスノウフォーラムとパーティー。ピーチに関わる方々が一堂に集まる大イベントです。本当にありがたいお時間。何度でも行きたい。
ピーチスノウは色彩心理学と推命学、推測統計学を用いたコンテンツで、広島出身の学びです。
私は、幸せを感じながら生きられる人を増やすことが自分の使命だとさえ思っているので(おも)(でも本気)
このピーチスノウというコンテンツを自分の生活に取り入れることでどれだけ面白いことが起きるのか?を実験しつつ、人々に伝えています。
その結果、みんなの前に立たせていただける機会があったり、一緒に学ぶ仲間もどんどん増えてきたりしていて
今回広島にも、SNSでの出会いから始まった、昔ではありえなかった場所から出会えたお方と行くことができました。幸せすぎた。
突然300人の前で表彰していただけたり、一言どうぞ!みたいな場面や会長社長クラスの方々と過ごす時間が目まぐるしすぎて
え?ドッキリ?隠しカメラどこ?くらいの感情の追いついてなさではあったんだけど
数日経って、改めてこの日々のことを思い出して、なんだかありがたくて泣けてきました。
会いたい方にお会いできること、行きたい場所へ行けること、学びを共有できる仲間がいること、面白い出会いが沢山あること、美味しくご飯を食べられること、感情に素直でいられること、学びながら好きなお仕事ができていること
そのどれもがありがたすぎて、きゅーってなる。
パタパタと過ごしていた日々は常に集中状態で、目の前のことをどんどんこなしていくことで精一杯だったけれど
だからと言って何も感じてなかったわけではなくて、いろんな色の感情がたくさん見えてきました。
予定をぎちぎちにすることが幸せ、とか休みは時には必要、とかそういうお話がしたい訳ではなくて
どんな日々だろうと、毎日少しでも振り返ったり一息つく時間を作るとか、集中状態と瞑想状態の使い分けというか
しっかり「感じる」ということをしてはじめて、人は満足できるのかもしれないなぁという気づきがありました。日々よく思うけど、それを「やっぱそうよね」とまた感じた。(感じることが大事だと感じた、という言葉の頭痛が痛いみ笑)
でもそれを自分で頑張ろうとすると疲れるので、私は手帳やピーチスノウを使うことで自然にやってるんだと思います。
だから、パタパタの日々で体調を崩すとかがなかったし、自分の身体を無視せず声をかけられるようになったので、そんな変化に自分が一番びっくりしている。
あぁ〜2024年、本当にすごい年だ。
今回紹介した出来事を一つ一つ愛でようとすると原稿用紙何十枚もいけちゃうので、今日はこのへんで終わりにしておきます。
そんなことを思った日でした。
読んでくれた方、ありがとう!!