離合の難しいガタガタのほっそい道を、前をよく確認せずに突っ込んでくる車
向こうからは全く見えてない〈私〉。私は不在。
いつものことだけど、気持ちがささくれ立ってる。
いつもと同じようなことが起きただけなのだけど、やっぱりまた腹立ちを抑えられない私。
病気のために自分の仕事も辞めた私(双極性障害)。
たくさんの病気の抱え、家の中の移動でさえ難しくなっている母。
そんな私と母に、経済的な問題を一方的に押し付けてくる父。
まあ、間違ってはいない、父の言い分。
「俺が負担してきた○○と○○のお金、俺はもう払えないから」と金額を書いたメモを私と母に渡してきた。
それで父の話は終わり。報告したから、という態度。
「俺はもう払えないからお前たちでどうにかしろ」と。
まあ、間違ってない、父の言い分。
でもね、そういう経済の問題を私と母に一方的に押し付けて、私と母でどう解決しろと?
なんだかモーレツに腹が立って、腹立ちが収まらないので「何がそんなに腹立って仕方ないのか」自分と会話してみる。
あまりにも腹が立って気持ちが収まらなかったので、先にInstagramで少し気持ち吐き出す。
いくつかツールを持っていると便利。緩やかな居場所をいくつか確保しておくのは大事。
私の欲しいのは何だろう?
経済的に困った状況になってしまったというのは、仕方ない。
そこに腹を立てているわけではない。
「経済的に困った状況が起きたから、どうしたらいいかみんなで考えてみよう」…
そんな言葉が欲しかったんだなぁと気付く。
それですぐに解決に結び付くわけではなくても、自分の意見を出したり、誰かの意見を聞いたり…
という、〈人と人との気持ちのやり取り〉に私はとても憧れている。
そんな一つ一つのプロセスを大事にしたいと思っている。
家族だからこそ、そんなプロセスの積み重ねが大事だと私は思っている。
家庭の中でそんな温かい状況を経験したことがないから。
だからよけいに執着している。
それに対して、〈言葉のやり取り〉なんていうものを「そんなことしてもしょうがない」とぶった切る父。
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一方的に〈問題〉と〈金額〉を押し付けられ、「あとはどうにかしろ」という態度が見えるとき、
「あぁ、こちらの『困る』状況も、『困ったなぁ』という気持ちも、向こうからは全く見えてないのだな」と私は感じる。
そこに〈私〉という〈人間〉は、全くの『不在』。
私の『不在』を感じるとき、私はモーレツに腹が立つ。
腹立ちを抑えられなくなる。
そしてそういうときに、だんまりを決め込む母。
まあ、母が何か言葉を発したところで、状況はさらに悪くなるのは目に見えている。
でも、そうやっていつも母がだんまりを決め込むから、父と言葉を交わさなくてはならなくなるのは、私。
そうしていつものルートで、大喧嘩へと発展する。
ズルイよね、と思う。とてもズルイ。母。
自分は痛い目に遭いたくないから、その場から〈逃げる〉。
だんまりという形で、〈逃げる〉。
それが結果的に娘を『盾』にしてしまっていることに母は全く気付かない。
私と父のケンカが始まると、まるでよく物事のわかっている母親かのように、私を抑えようとする。
母は、「私は腹を立ててないよ。腹を立てているのは娘よ。」夫にアピールしたいのかもしれない。
こうしてズルイ人間たちに囲まれてきた私。
黙って従うなんてできない性格だから、父との間でなりふりかまわない大ケンカを重ねてきた。
そんな状況に、子どもたちはいつも怯えて泣いていた。
子どもたちには本当に申し訳なかったなと思う。
でも、私はどうしても自分の怒りをうまく抑えたり、従順になるなんて、できなかった。
これから先は何かの行動で気持ちを昇華させるのではなく、
そんな父と母を〈ネタ〉にして文章にさせてもらおうと思う。
そうして自分の気持ちを吐き出すことで、私はほんの少し冷静になってこの家に踏み留まることができるから。
私の置かれている場所は、離合の難しいガタガタの山道。
少しでもハンドルさばきを間違えば崖の下に真っ逆さま。
そんなこちらの状況にはおかまいなしに、ガンガン突っ込んでくるダンプカーのような父。
年齢的なことを考えても、父にはもうそれほど長い残り時間があるとは思えない。
父が人生を終えてから一方的に悪者にするのは、よけいに卑怯だと感じている。
だから、今のうちに書き始めようと思う。わが家の状況を。
書くこと慣れてきたら、この状況をもう少し面白おかしく書けたらいいなと思う。
面白いネタはざくざく転がっているから。
少し面白く書けたら、たぶん自分が楽しい。難しい状況を少し楽しめる。
わが家は宝の山。