人間失格(済み)|自己紹介:U
※前作・前前作、または前前前世をお読みでない方は、まずは、そちらをお読みください。
※また、この記事でには「生死」や「トラウマ・PTSD症状」の具体的な記述があります。その点について、ご理解とご了承のうえでお読みください。
ポップでキッチュなビートを刻む|序
ドリーミーでユーフォリックなメロディを奏でる|破
何も生みださない日々は、泡沫のようなに消えて行った。
わたしは繰り糸の切れた凧のように、風に吹かれ、舞いあがっては、ふらふらと宙を漂い、浮力を失えば、マンホールだらけの地面に落ちた。
菓子パンの包装紙が転がる。
あれも、何百年と経てば、いずれは有機分解されて土に還るのだろうか。
わたしも、土に還るのを緩慢に待っていた。
転機は、ひとりの女性がもたらした。
ボランティアに誘われたのだ。
ああ、ボランティア。
居場所をなくしたわたしでも、まだ、受け入れてくれる場所が残っていた。
言われるがままに、参加することにした。
それは、養護施設でのボランティアだった。
養護施設には、様々な事情があって親元を離れて暮らすこどもたちがいた。
そのこどもたちの勉強をみたり、話を聞いたり、遊び相手をしたりするというものだった。
ひとりの少女がいた。
年の頃としては、三歳か四歳ほどであった少女は、異彩を放っていた。
いや、異彩というよりも、異様であった。
何が異様だったか。
ほかのこどもにあるはずのものがなかったのだ。
それは、言葉と表情であった。
能面のような顔、真っ正面を見据えたまま微動だにしない目、上下のくちびるが接着剤で固く閉じられたような真一文字の口。
動きもほとんどなかった。
うながされればうごくが、自発的に動くことは、わたしが見る限り皆無であった。
『知的障害を伴う自閉症』
それが少女に下された診断名であった。
初めて少女に会った日、わたしは少女に近づけなかった。
いや、わたしのなかの何かが、少女に近づくことを許さなかった。
今にして思えば、それは、少女の発する無言の声を、わたしの心のなかの耳が聴いていたからなのかもしれない。
何度か、ボランティアに行った。
その日は、施設内で散髪をする日であった。
ふたつ並べられた椅子で、こどもたちは、順番に髪を切ってもらっていた。
わたしは、順番を待つこどもの相手をし、床の掃除をして過ごしていた。
少女の番になった。
わたしは、何時ものように、いや、何時からか、刺激とならいように、傷つけないように、最大限に自分の気配を消して、見守っていた。
いや、ただ、そこに在る、ということをし続けた。
少女の散髪が終わる。
わたしは静かに、ゆっくりと、少女のほうに目を向ける。
散髪し終えたばかりの少女を見た途端に、わたしはおもわず、言葉を発する。
「わぁ、かわいいね、お姫さまみたいだね。」
理由も、意図も、計算も、
遠慮も、憐憫も、何もない。
ただ、言葉だけを、発した。
次の瞬間、少女は、笑った。
一瞬の出来事だった。
すぐにその笑顔は消えた。
しかし、少女は、確かに笑ったのだ。
わたしに向けて。
_この子には、生きる力がある。
火花が飛んだ。
今の今まで湿気って着火しなかったマッチに火がついた。
その小さな小さな笑顔を見た瞬間、わたしの身体のなかに火が灯ったのだ。
それは燃える燐の匂いとともに、わたしの冷え切った心のなかを照らした。
一本の棒マッチが発する光は、
陽の光の届かぬこころの闇のなかでは、何よりも眩しく輝きを放った。
この笑顔を守ろうと思った。
わたしにもできることがあると思った。
その道を目指すことを決めた。
その道を極めることを決めた。
大仰に言えば、この道しかないと思った。
若気の至りだったとしても。
わたしは、臨床心理士になるために大学院へ入学した。
大学院でわたしはひとりの女性と出逢った。
後に、ふたりは結ばれた。
挙式の際、わたしは人生で初めて父に宛てた手紙を読んだ。
_云々。母親の居ない家でした。近所では、さまざまな噂が上がっていたことは、年を重ねるにつれ気づいていました。祖母が亡くなり、弟は家を出ました。苦渋の多い家でした。まわりからは不幸な家に見られていたでしょう。それでも、お父さん、あなたが、その悔しさをバネにこの家を守りつづけてくれたから、いまのわたしがあることを知っています。わたしたちはお互いに口下手で、これまであまり話をしてきませんでした。正直、わたしは、あなたが苦手でした。近づきたくもない恐ろしい存在でもありました。それでも、背中を見て育つというのでしょうか、言葉以上に、あなたの背中から多くのことを教わった気がしています。だから、あえて一度も口にしてこなかった言葉を伝えます。ありがとう。
父はわたしの横で男泣きしてきた。
俯き、声を上げずに、人目も憚らず、大粒の涙と華厳滝のような鼻水を垂れ流していた。
生まれて初めてみる父の姿だった。
程なく、妻は妊娠した。
わたしたちの子はすくすくと育ち、家族は三人となった。
ただ、それだけで、幸せだった。
わたしが、ずっと、ずっと、ずっとだ、望んだ家族、今、それを築くことができた。
これ以上、ほかに何がいる。
こどもがいて、妻がいて、わたしがいる。
欲しいものは、それだけだった。
察しの良い読者なら、このあとに続く言葉がわかるだろう。そのとおり。
だが、だ。
だが、その幸せは、長くは続かなかった。
夜が溶ける。
朝が滲む。
わたしは、起きられなくなった。
起きられないのだ。
眠くて、ではない。
起きているのに起きられないのだ。
布団から起き上がれない。
身体が動かない。
腕一本、持ち上げられない。
それは、まるで、全身をコンクリートで塗り固められたかのようであった。
そして、わたしは、自由落下を続けていた。
どこまでも、どこまでも、落下し続けた。
何時間、自由落下していただろうか、
気づくと、カーテンの隙間から差し込む光は、茜色の夕日に変わっていた。
落下し続ける間、わたしの頭のなかは、一つの言葉で占めたれた。
_死。
_死。死。死。
_死。死。死。
_死ぬ、しか、ない。
『死』という巨大オブジェクトのようなゴシック体の文字が、わたしの頭のなかを占拠した。
大部隊ではない。たった一人の、一つの、わたしという世界を破壊するだけの威力を兼ね備えた原子爆弾のような一文字。
それが、わたしの頭に投下されたのだ。
わたしは狂ってしまいました。
もう死ぬしかありません。
死ぬしかありません。
申し訳ございません。
本当にごめんなさい。
もう死ぬしかない。
死ぬしかない。
死ぬしか。
死ぬ。
死ぬ。
死。
死。
し。
し。
し。
。
。
。
.
.
.
妻と子は、去って、いった。
いや、逃げてくれたのだ。
彼女たち自身を守るため。
幸せは崩れ落ちた。
いとも容易く。
さようなら
親戚の家に身を寄せた。
地元へ強制送還となった。
過酷な療養生活が幕を開けた。
様々な診断名が下った。
そのひとつが複雑性PTSDであった。
わたしの専門分野だった。
ミイラ取りがミイラになったわけだ。
本当は初めからわかっていたことだ。
ずっと危ない橋を、渡り続けていた。
自分のトラウマを幾つも抱えながら。
トラウマと、PTSDと、わたし。
これらは最初から不可分であった。
生まれたときからの宿命と言える。
変なもん背負わせんなよと思った。
おれ、死ぬぜ。
わたしは歩いた。
親戚の家から実家まで歩いた。
急勾配の坂をのぼり続けた。
そこで、毎日、仏壇に線香をあげた。
祖母に会いに行っていた。
祖母と話がしたくて行っていた。
ばあちゃん、ごめんね。
何もできなかったね。
ばあちゃん、ごめんね。
こんなんはずじゃなかった。
ばあちゃん、ごめんね。
死んでまで心配かけて。
ばあちゃん、ごめんね。
もう、おれ、だめだ。
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ね、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
さ、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
ふんばって、ふんばって、ふんばって、
踏みとどまってきた。けど、
ばあちゃん、おれ、死にたい。
もう、終わりにしたい。
ばあちゃんに会いたい。
そっち、いって、いい?
毎日、祖母の返事を待った。
そのためだけに、歩いた。
SEKAI NO OWARIの『銀河街の悪夢』
という曲をエンドレスリピートしながら歩いた。
なぜか、その曲だった。
_行ってきます。
_ただいま。
その繰り返されるフレーズは、
わたしの命が途切れずに繋がっている証だった。
数ヶ月経つと、親戚が根をあげた。
血の繋がりのない叔母は、わたしを厄介者として扱い始めた。
ここでも、わたしは、また、居場所を失った。
もう、それには、慣れている。
いや、慣れているつもりではいたが、
わたしは、毎回、傷ついた。
居場所を失う度に、
毎回、同じように、ふかく、ふかく。
傷からは悲しみという名の血が流れた。
そして、わたしは、
実家の、あの小屋に、戻ることになった。
わたしは彷徨い歩いた。
行き先はもうなかった。
樹海は遥か遠くにあった。
空まで届くような高層ビルはなかった。
欄干の上から高速道路を見下ろした。
何時間も。
何時間も。
何時間でも見下ろしていた。
わたしの身体から時間が消えていた。
わたしの身体から食欲が消えていた。
ほとんど口にするものはなかった。
60kgの体重は42kgになった。
わたしの身体から睡眠が消えていた。
全く眠れない絶不眠が数ヶ月続いた。
睡眠という単語は目を閉じるという意味に差し替えられた。
人が生きるために必要な食べること、眠ること、排泄することの全機能が停止した。
生命活動を維持するためのプラグやチューブが、闇の世界の住人カゲによって引き抜かれてしまった。
代わりに現れたのは、一時も止むことない激しい痛みであった。痛みがあることが生きていることと等価になった。
わたしにとっての朝は一日の始まりではなかった。夜の延長線上であった。
異なる周波数の耳鳴りがやかましかった。
季節を問わず、蝉や蟋蟀や鈴虫や機械音が騒めいた。
光、音、匂い、振動、あらゆる刺激を受け付けなくなった。
コンビニ、スーパー、ドラッグストアの蛍光灯は、わたしの網膜を突き刺した。
柔軟剤、香水、煙草の煙は、鼻腔の奥の粘膜を焼き焦がした。
テレビ、食器、サイレンの音は、わたしの鼓膜を掻きむしった。
感覚過敏などという言葉が生易しく思えた。
そんな状態が何ヶ月も、半年も、一年以上も続いた。
季節は回った。
わたしの知らないところでくるりと回った。
そんな状態でも本だけは、読めた。
わたしは、小屋に閉じ籠り、本を読んだ。
来る日も来る日も本だけ読んで過ごした。
手に入るものを手当たり次第に読んだ。
一日に十冊以上読むことも度々あった。
解離のなせる業であった。
意識を完全に切り離すことはできなくても、騙すことはできた。
痛みは常にあった。
止むこともなかった。
だから、わたしは解離した。
意識の先端を、鈍麻というヤスリで削ったのだ。
削り落ちて粉となった意識だったものは宙に舞い、意識のまわりを浮遊した。
その粉は、本の紙面の文字のインクに付着し、紛れ込み、物語の一部となった。
薄暗い小屋のなかで、身体から解離したわたしの意識の一端は、広げた本の頁へと逃げていった。
端的に言えば、わたしはわたしの身体を離れて旅をしていたのだと思う。
その旅で、わたしはひとりの人に出会った。
ティク・ナット・ハン禅師であった。
リトリートのことを知った。
マインドフルネス瞑想に取り組んだ。
わたしのなかで何かが変わった。
静寂のなか、確かに無音の音がした。
わたしの回復への旅が始まった。
(回復の、長く険しい旅については、ここで触れることはしない。奇跡としか呼びようのないいくつもの偶然が次々と重なり連なった物語があるのだ)
月明かりだけが、やさしかった。
それさえも、直に眺めることは難しかった。
手入れの届かない森のような庭のなか、
ビールケースを裏返した椅子に座り、
わたしは、ひとり、月に背を向け、
その月あかりに、そっと、ふれた。
月明かりだけは、やさしかった。
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
…生きなければ、
その言葉だけを、つぶやいた。
…なぜなら、
…いま、
…まだ、
…生きているから。
…痛みだけの存在だとしても、
…苦しいだけの人生だとしても、
…わたしは、
…まだ、
…生きている。
生きなければ、とおもった。
わたしの、この苦しんで歩いた跡が、
道になるかもしれない。
たとえ、けもの道のようなものだとしても、
どこかの、だれかが、いつか、たどる道となるのなら、
生きなければ。
そうして、いまが、ある。
わたしが、生きつづけた結果、ここに、こうして、書きとめる言葉がある。
いま、あなたが、スマホ画面に表示している、この文字だ。
_わたしはあの少女を癒せたのだろうか。
_わたしはこれまで出会った者の心の傷を癒すことが出来だろうか。
_わたしはわたしの心の傷と向き合い癒すことが出来ただろうか。
わたしには、わからないことばかりだ。
それでも、生きなければ。
小さな火が、わたしの命を照らしている。
弱く小さな火がわたしの影を作っている。
わたしの姿が消えていないことを示している。
わたしは、まだ、息をしている。
わたしの胸は、まだ、鼓動を止めていない。
わたしは、まだ、生きているのだ。
たとえ燃え滓のような生だとしても。
それでも、わたしは、生きなければ。
ばあちゃん、みえてる?
目の悪いばあちゃんのことだから、ぼやけてるかもしれんね。
ここに、おれ、
ばあちゃんのこと書いてる。
ばあちゃんの大好物のこととか、
シャンシャシャイダーのこととか、
ばあちゃんがやさしかったことを、
書いてる。
ばあちゃん、読めんかもしれんけど、
書いてる。
書いてるうちは、おれ、
まだ、生きているから。
だから、まだ、そっちには行けんよ。
まだ、そっちには、行けんだよ、おれ。
ばあちゃん、ごめんね。
ばあちゃん、あいたいよ。
ばあちゃんにあいたいよ、おれ。
でも、まだ、そっちには行かんよ。
ごめんね。
ありがとう。
ありがとう、ばあちゃん。
ばあちゃんがしてくれたこと
言葉になんかできん。できんよ。
ありがとうしかいえんよ。
書いてもぼやけてみえんよ。
目ん玉からなみだがあふれてみえんよ。
うみは、かなしみから生まれたのかもしれんね。
たったひとりの大切なひとを失った、
たったひとりのひとのかなしみから、
うみはうまれたのかもしれん。
なみだは、世界で一番ちいさな海だって、
うまいこと言ったひとがいたね。
ばあちゃん、聞こえる?
ばあちゃん、耳も悪かったから、
聞こえんかもしれんね。
でも、いうよ。
ばあちゃん、ありがとう。
おれ、まだ、生きてるよ。
ばあちゃん、
おれ、生きてるからね。
ばあちゃん、ありがとう。
ありがとう。
ばあちゃんになんもできんかった
孝行できんかった人間失格なおれでも、
それでも生きていく、生きていくよ。
だれかに、届くかもしれんから。
おれの言葉が。
おれの経験を言葉にしたものが。
だれかに届くかもしれんだよ。
とどけ!
とどけよ!
なあ!
おい!!
とどけ!
とどけよ!!!
地球の裏側まで!
天の川銀河まで!!
宇宙の果てまで!!!
とーーどーーーけーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー月ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーエウロパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー土星ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーボイジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーシリウスーーーーーーーーーーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアルタイルーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーベガーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカペラーーーーーーーーーーーーーーアルデバランーーーーーーーーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーフォーマルハウト︎ーーーーーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアンタレスーーーーーーーーーーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアクルックスーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーポラリスーーーーーーーーーーーーーーーーーベテルギウスーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーリゲルーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーースピカーーーーーーーーーーーーーーレグルスーーーーーーーーーーーーーーー✳︎ーーーーーーーーデネブーーーーーーー✳︎ーーーーU612ーーーーーーーーブラックホールXXXXXXXXXXXー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(ばあちゃん、いっぺぇもらったよ)
(だから、へぇ、いいだよ)
ばあちゃんの声がした。
ー了ー
人間失格(済み)|自己紹介:U
命ある限り
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