わかる人さえいればいい
共通言語と共通認識の人とだけ、付き合っていく。
それが、一番ストレスがかからない社会での生き方だ。
先日、お仕事関係の打ち合わせをオンラインで、音声のみで行った。
その際に、ふとしたことからこの「共通認識」を持っている人なのだとわかった。
わかった瞬間に、深くお互いに信頼できたと思う。
共通言語、と言うのは、何も外国語を話すと言うことではない。
日本語を話していても、言葉が通じない、という経験をしたことはないだろうか?
いくら熱心にお話ししても、
いくらわかりやすいように、噛み砕いでお話ししても、
どうしても理解して頂けないことがある。
客室乗務員として接客をしていた際には、共通言語が通じないお客様に接客してきたが、さらに機内では時間制限がある。
だからこそ、素早くそのお客様の「ツボ」を探し、その伝え方で伝える、と言うことを確かにやってきた。
これは、先輩から教えられた訳ではなく、そして人から教えてもらってできる物ではなく、自ら窮地に陥った際に必死で頭に汗をかいて、全ての五感をフル活用してようやく探り当てられるのが、ツボだと思っている。
ただ、一度しか会わないことが前提のお客様なので、その掴んだツボが当たっていればそれでほぼ問題は解決する。
しかし、長く付き合って行く方々には、一回一回ツボ探しはしたくない。
(ただ、面倒なだけだが笑)
それよりも、「ツー」といえば「カー」(表現が昭和でごめんなさい)つまり、一言言えば「そうそう、わかるー」と言う人とだけ、関わって生きていきたい。
逆にそんな人を見つけたら、長いお付き合いをしていきたいし、していくだろう。
誰かに合わせるのが気にならない人もいるのだろうけど、私は我慢の限度を超える前にサッと離れられる方法を考えて、実行する。
人のストレスの大半は、人間関係。
「人とできる限り関わりたくない」
と言う、共通認識で一致した先日の仕事関係の方。
心から納得した自分がいた。
新しい出会いもあるだろうが、その際にも「わかる人だけ」を探り当てたい、と思っている。
少しづつ少しづつ、手放しはまだまだ続いている。