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体調不良時の過ごし方


梅雨冷え、雨に濡れる、夏至、満月が重なった時、発熱した。
実に1年ぶりくらいのことだ。
それでも、私にしてみれば頻繁に熱が出ている感じがする。
以前は5年くらいは熱を出さなかったのに、年齢のせいなのか・・・と少々気弱にもなった。

と言っても、熱自体は38度くらいまで上がり、その後はすぐに37度台。そして翌日には36度へと下がる。それも結構いつものことなので、大体予想はできる。
ただ、喉の痛みは残っている。季節の変わり目に喉をやられるのは、若い時もあったので、まあ仕方がない。
雨の寒い日に薄着をしていて、知人がどうしても行きたいと言うので、私のお気に入りのカフェに案内した時に、かなりの雨に濡れてしまった。なんとなくまずいな、と思っていたが、その予感は的中した。

やっぱり私は太陽が好きだ。(なんの宣言?)

週末であることを良いことに、予定はキャンセルして、ひたすら家にこもった。
あまりないことだが、元気であること以外取り柄がないので、体調が悪い時にはどうしたら回復するか、を自分では熟知しているつもりだ。

1 食べ物は、鍋焼きうどんか、鰻
→今回は鍋焼きうどんを蕎麦屋で食べ、今朝は自分で鍋焼きうどんを作った。

2 喉の痛みは、浅田飴クールのみ。風邪薬は、「ルル」を常備しているが、飲んだのは2錠を一回だけ。薬にはあまり頼りたくないし、頼らなくても体の免疫力が最後は勝つと知っているから。

3 ひたすら、ダラダラする。眠い時に眠る。
何時間寝てるかなんて関係ない。ひたすら眠るだけ。

4 自分の体の声を聞く。喉の痛みがピークを超え、ようやく免疫力が喉の痛みのウイルスなのか、菌なのかはわからないが、勝っているのを今感じている。

5 喉には、カテキンたっぷりの日本茶。おやつは煎餅。これがあれば、大体回復する。

6 弱っている体を補うように、直感力が冴えまくるので、あまり困ることはない。むしろ、いろんなことが見えてしまって、小説やエッセイのネタが見つかっている。

自称「野生児」
薬のアレルギーで一度救急車で運ばれ、ICUに入った経験があるため、できる限り薬は飲まないし、飲まなくても回復する。
そして、自分の体のことを冷静に観察すれば、大抵のことはわかる。
あの雨の時も、普段なら絶対にあの雨の中行くことはしないのに、人と一緒だったからやってしまったのが間違いだったと、原因もわかっている。
だから一人がいいんだよな、と、最近人に会いすぎていたことを少々反省。
自分のペースが崩れるからだ。
これからはしばらく人と会わない生活に戻る予定だ。
ありがたいことにやるべきことは、実はたくさんあるし、結構大きなことに取り組んでいく予定だ。

もう一つは、直感が冴えている。
見なくてもいいものまで見えてしまう。(霊的なことではありません)
人が気づかないことにも気づいてしまう。まあ、それで私は今後に活用ができるのだが、気づいている人と気づいていない人の違いをまざまざと見せつけられている。(詳しくは書けないが)
多分、体調が悪い時のぼーっとした感じが、潜在意識に近いのではないか、と思うのだ。と言うことは、体調が悪い時は直感が働きやすいのではないか、と言う仮説を立てた。多分、そう。

振り返ってみれば2024年に入って、東京に2回出張に行き、九州6県、与那国とバンコクへ旅に行った。
出張はまあ仕事だったから、これは別として、今年に入ってからの旅は全て導かれていると感じている。
そして、その度に次のステップへとつながっている事実がある。
ちょうど一年の半分が終わる頃に、ひさしびりの発熱でダウンした。
これも、前半の疲れを癒し、後半戦の大きな変動に備えるためだったのかな、と思えている。
多分、誰しも2024年と2025年は大きな変化の年になると、私は感じている。
それがなんなのかずっと分かってなかったが、今はもう分かっている。
導かれた旅に出たことで、答えがわかったのだ。

いつも思うのだが、行動する時には答えはわからない。
しかし、わからないけど行った方がいい、と思った時は、行けば次への道がちゃんと用意されている。だから、「ああ、行ってよかった。そう言うことだったんだね。ここにつながってたんだね」と、答えを知るのだ。
歩き続けなければ、目的地に到達することは決してないように、行動し続けた人だけが次の目標もやりたいことに到達する。
マラソンも走り続けるから、ゴールできるのと同じだ。

じっと立ち止まることも必要だが、やがて再スタートをした方がいい。
そうすれば、ちゃんと道は用意されていることに気づく。その道は、自分が心から望んでいる場所や、環境だったりする。つまり言い換えれば、「歩き続けている人は、年齢を重ねれば重ねるほど自分の理想に近い場所と環境にいる」のだ。
確かに、今が私は一番幸せかもしれない。

自分の好きなことしかしなくなって6ヶ月が過ぎたが、まさかこんな日々が続くなんて思ってもいなかった。だが、現実にそれができている。

嫌な場所にはもう行きたくないし、嫌なこともしたくない。そして、それでいいように人生は自然となっていく。
昔は「やらなきゃいけないこと」をたくさん抱えていたように思うが、果たして本当にやらないといけないことだったのだろうか、と思うことがある。それでもそれらはその時の自分にとっては必要だったのだろう。その日々があって、今がある。
大事なことは、どんな人生だって可能だと言うこと。
あなたがそれを望めば、どんな人生も狩野だと言うこと。

私自身の経験から、そう言えるだけだが、そんな人がここに一人いることは事実だ。
人の生き方に正解はないし、どんな生き方も法律違反以外は、誰からも責められることはないし、批判する権利もない。自分が悔いがないように生きるだけだ。

こんなことが書けるのも、やたらと部屋を片付け始めたのも、動き始めたのも、実は回復している証拠だと、私は誰よりも知っている。

さて、明日から元通りの日々が戻ってきそうだ。

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Hiromi  U.
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