いつでもご機嫌な自分でいるために
最近エネルギーについて、こんな記事を書いた。
変化に必要なもの
エネルギーという言葉を使っているが、
波動とも言える。
波動と言えば、量子力学、という言葉が思い浮かぶが、私は、量子力学をしっかり学んだ訳でもないので、あくまでも私が感じていることを書こう。
量子力学とは?
こちらに記事があったので、参考にしてみてください。
文科省ホームページ
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/detail/mext_00162.html
自分を幸せにするのは、自分しかいない。
「運」がいいから、そのおかげで幸せなんだ、と思っている人もいるだろうが、その「運」は、自分が強くしたものだと考えている。
今、騒ぎになっている、ドジャースの大谷選手は、道端にゴミが落ちていたら、
「ラッキー、これで徳を積める」と思って、そのゴミを拾ってゴミ箱に捨てる、というインタビュー記事を読んだことがある。
彼は彼の考え方と行動によって、運を強くしているように思えた。
今騒動になっていることは、不運としか言いようがない気がするが、きっとこれもチャンスに変えていけるだけの運を彼は持っているのだと思っている。(勝手な私の推測です)
では、その「運」さえも強くできる自分にとって、大事なものってなんなのか?
を考えてみた。
それが「エネルギー」だと、旅先で気がついた。
というより、「腑に落ちた」、すなわち体感としてわかった、と思ったのだ。
知識としては知っていても、実際に自分がやってみて、実感しなければ私は「わかった」とは言えないという、少々頑固なやつだ。
エネルギーチャージとは、車で言えば「ガソリンを満タンにするとと」だ。
スマホのバッテリーチャージと同じだ。
人間も、エネルギーが満タンの時と、あと10%しかエネルギーがない時では、同じ仕事をしていても、パフォーマンスが違うと思ったのだ。
なぜこれに気がついたのか。
つい先日5泊6日の旅を終えて帰宅した時のことだった。
全然疲れていない自分がいた。
さっさとスーツケースの荷物を片付け、夕食を鼻歌を歌って準備していた。
1000キロ以上の車の運転をしたのに。
1日10000歩ほど歩いていたのに。
違う環境にいたのに。
これは、
「旅をすることで、エネルギーを消費するのではなく、チャージしているんだ」と思ったのだ。
ただ、勘違いをしないでほしい。
誰もが旅でエネルギーチャージできるのではない。
私は、「旅が好きだから」エネルギーをチャージできているのだ。
誰かに誘われて仕方なく、とか、誰かが決めた旅程の旅をしていても、私はエネルギーチャージされない。
自分で全て旅程を調べて、決めて、それに沿って旅をする。
寄り道あり、ハプニングもあり。
そんな旅の仕方だから、エネルギーをチャージされるのだ。
これに気づいてから、「エネルギーを満たすもの」があるなら、「エネルギーを枯渇させるもの」があるのではないかと思い、リストアップしてみた。
どちらも偶然だが、12個づつ思いついた。
もちろん、これ以外にもあるかもしれないが、あくまでも私の場合を参考にしている。
エネルギーを満たすもの
好きなことをする
ワクワクすることをする
やりたいことをやること
感謝すること(ありがとう、と口に出すこと。手を合わせること)
人を褒めること
自分の気持ちに素直になること
自分を信じること
自分を大事にすること
休むこと
眠ること
好きな趣味
自然を見ること、触れること
エネルギーを枯渇させるもの
嫌いなことをする
我慢すること
罪悪感を持つこと
無理をすること
人の悪口を言う
嫉妬する
意地悪をする
人の目を気にすること
愚痴を言う
頑張りすぎる
人混みに長時間いること
人に尽くし過ぎる
もちろん、反発もあるだろう。
なぜなら、「エネルギーを枯渇させるもの」のほとんどは、今まで「美徳」とされてきたものだからだ。
私も、そうだった。
我慢すればいいことがあると思っていた。
途中で止めることは、悪いことだと思っていた。
でも、我慢したことでさらに大きな困難がやってきて、取り返しのつかないことになった経験もある。
あれは、今思えば「そもそもその選択が違う」と言うことを、知らせてくれていたのに、生じっか我慢強いから、我慢してしまい、さらに大きな困難を引き寄せた気がしている。
周囲にも、「人に尽くしすぎて、自分のことを後回し」にしている人が、それに気づかずいいことだと思っていて、体調を崩す人がいる。
スマホもバッテリーがなくなったら、動かなくなるのだから、人間も動けなくなるのは当たり前なのに、本人は気づかない。
他人のことは、「エネルギーを奪われているから、体調を崩したんだ」とわかるのだが、自分のこととなると、わからなくなるのも、人の常だ。
また、エネルギーを満たすもの、を次々にやっていたら、「わがまま」「自分勝手」「共同生活ができない」と思う人もいるかもしれない。
でも、「そんな自分を認めてくれる人」を見つけるしかない、と私は思っている。
自分の個性を曲げてまで、苦しい思いをしてまで(本人は気づいていないことが多い。私もそうだった)共同生活をしなくていいし、付き合う必要はない。
もう一度言おう。
「自分を幸せにするのは、自分」だ。
そして、自分の幸せは、そこら辺に売っているものではなく、「完全なるオリジナルオーダーメイド」なものだ。
誰かと同じ、誰かの真似をして得られるものではない。
自分しか、自分の幸せを知らないからだ。
では、自分の幸せはどうやって知ることができるのか?
答えは、シンプル。
楽しいと思うこと。
ワクワクすること。
それが幸せのサインだ。
つまり、頭は答えを知らないけど、心は知っているってこと。
もちろん、自分が幸せだと感じる基準は、年月とともに変化する。
だからこそ、「自分の心と対話する時間」を持ち、それに従う。
1日10分でもいい。
そして、騙されたと思って素直に従ってみる。←これが案外難しいのは私も経験済みだ。
でも、今は素直に100%従っている。
そして、エネルギーがチャージされることに時間を使い、エネルギーが満タンになったところで、いらないものを手放し、現状が不満ならば、生き方を変える。
これも、エネルギーが満たされているからこそ、できることだ。
エネルギーが枯渇している時には、決してできない。
ブラック企業だとわかっていても、退職できないのは、エネルギーを奪われているからだと、私は思っている。
だからこそ、まず自分のエネルギーを満タンにすること。
そうすれば、いつでもご機嫌な自分と出会えるのだと、パンデミック以降に学んだ気がしている。
自分を幸せにしない格言は捨てて、ただただ自分の気持ちに素直に従う。
そうすれば、明日は今日よりご機嫌な自分に出会えるだろう。