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みんな「自己満」で生きていい
サムネイルに使用した写真は、以前訪れたペンギン博物館での一枚だ。
その際に、今日のテーマと通じることを書いたので思い出して使用しました。
以前はなんの疑問もなく受け入れていた言葉なのに、最近はどうも受け入れられない言葉がある。それは「人の役に立つ人になりなさい」だ。
とても良い言葉だと思うし、実際に人の役に立たないとなかなか大きな仕事は任せてもらえないし、起業した人ならば稼いではいけないのだから、この言葉がある意味では間違っているとは思わない。
しかし、以前はこの言葉に対して「そうだよね」と思っていたのに、最近は「いやーこれは危険な言葉だ」と思うのは、おそらく「自己犠牲を強いるような気がする」からだ。
どこにいても、誰といても、人の役に立たないといけない、と思っていると気を使い過ぎてしまう。例えば会食の場で、周囲に気を使いすぎて自分があまり食べられなかったり、楽しいと思えなかったりしたことはないだろうか。
もちろん、誰かを手伝いたいと自然と思って動くことは何も悪くはないと思う。
お正月に義実家に行った際、「手伝うのが当たり前」と思われていて、まだ幼い子供のことが気になり、とても苦しかったことを思い出す。
それでも無理して、期待されている通りに動いたが、好きで行っているわけでもなかったのに当然のように周囲が思っていたのが、今思えばとても気持ちが悪い。
何度も言うが、好きでお手伝いをしている分にはなんの問題もない。
強制される、無言の圧力が怖いのだ。
仕事においては、自分が好きで入った会社で、先輩方から愛ある教えをいただいて、「ああ、恩返しをするのであれば、私が早く一人前にならなければ」と思ったからこそ、毎日仕事の振り返りをしてなんとか一人前に仕事ができるようになったら、周囲から「助かる」と言われるようになっていた。ただ、それだけのことだ。
人の役に立とう、と言うより、私の場合は「できない私のために、帰る時間を遅らせてでも私に教えてくれた先輩たちに申し訳ない」と、先に愛情を受け取ったからこそ、返そうと思っただけのことだ。それが結果的に、人の役に立ったらしい、というだけで、決して「人の役に立とう」と最初から思っていたわけではない。冷たい人間だと言われたら、そうかもしれない。
思えば、思春期くらいの頃から「自分がまず幸せでなければ、他の人に何かをしてあげるなんて、私にはどうもできそうもない」と思っていた節があった。周囲は違うようで、「まず周りを見て、周りのために行動する」と言うのが当たり前、と言う空気は感じていたが、むしろ心の中では反発していたように思う。
時代は変わり、年を重ね、ようやく「まず自分を満たす」と言うことがなんとなく許され、(本来誰の許可もいらないのだけど)理解されるようになったと感じるし、(本来誰かに理解されなくてもいいのだけど)そういう生き方をする人が増えたように思うのでありがたい。
確かに「人の役に立つ人になりなさい」と言う言葉は、美しい。
しかし、それを最初に考えるのではなく、「まず自分を満たし、余裕ができたら自然と人の役に立つことをしている自分になっているかもしれないよ」というのが、私には美しく見えるし、しっくりくる。
確かに私の周囲の「give」の精神に溢れている人たちは、自分自身が好きな生き方をし、経済的にもなんの不自由もない人たちに見える。
日本がまだ全員が貧しかった頃、(今でも困っている人たちはたくさんいると思うが)お互いに助け合うことでしか生きていけなかったからこそ、近所付き合いもあり、親戚付き合いもしていたのだと思う。それも、一種の「自己満」だ。自分も助けてもらうかもしれないから、近所と付き合っておこう、という気持ちが見え隠れする。
日本が豊かになってからは、社会保障が整ってきて、だんだんとその付き合いと言うのが減っていったと、先日海外に住むユーチューバーの人が言っていた。途上国に住むその人は、途上国ではお正月などは必ず実家に帰る若者がほとんどで、それはある意味「セーフテイネットを確保するためだ」と言っていて、妙に納得した。
何度も言うが、自分が手伝いたいと自主的に、心からそう思っている場合はなんの問題もない。でも、無理したり、我慢し、強制されるのはちょっと違うなと思っている。
人はまず自分のことを考え、自分を見つめ、自分が幸せになるために生きればいい。
それを「自己満足」と言い、「自己満」という言葉で略されるが、その意味はとてもわがままな人を指すようだが、よくよく考えてみればみんな「自己満」なのだ。本音は。
胸に手を当ててみれば、自己満の人がほとんどのはずだ。
自分が困らないために、自分も助けてもらうために、自分が嫌われないために。
それが本音だと思うし、それは自然なことだと思うし、それでいいのだ。
だからまずその本音に従って生き、自分が満足した結果、気づいたら周囲の人にいつも優しく、何か自分ができることをしたいと思って自然と行動している、という姿に、私は感動する。なぜなら、全員が幸せだから。
誰かの犠牲の上に誰かの幸せがある、なんて、決して美しくはないし、本音を美辞麗句で誤魔化して本質を見失わせる言葉には、どうも反発を覚えてしまうのだが、やっぱり私は自己満で、冷たい人間だと思われるかもしれないが、私が苦しんだように誰かが苦しまなければいいな、と思って書いてみた。
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テーマは前回同様「自由に生きる」です。
自由に生きたいと思っている方、すでに自由に生きている方のお話をお聞きしたいな、と思っています。
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